スーダン共和国(以下、スーダン)には「紛争」というイメージがつきまとう。実際、1956年にイギリスとエジプトから独立して以来、「南北内戦」や「ダルフール紛争」など、大きな紛争が続いてきた。紛争があったことは事実だが、実際に暮らしているスーダン国民は元来温和でまじめな、親しみやすい人々なのだという。

そう語るモハメッド・エルガザーリ臨時代理大使(以下、大使)に、緑あふれる大使館内で平和な国づくりに向けた思いを伺った。

スーダン共和国 駐日代理大使 モハメッド・エルガザーリさん古くて新しい多民族国家スーダンの複雑な情勢

紀元前2000年頃にはアフリカ最大の王国「スーダン帝国」が繁栄し、高い文明を誇っていたスーダンの地。遺跡も多く、ピラミッドの数は200近くとエジプトよりも多いといわれている。日本の約7倍、アフリカで最大の面積を持つ国土はナイル川など自然資源にも恵まれ、古来からアフリカとアラブを結びつける十字路として役割を果たしてきた。

そんなスーダンが、独立以来40年以上にわたって内戦を続けてきたのはなぜなのだろうか。

「スーダンの紛争は多くの場合、独立前に遡り、スーダンのアフリカ大陸での地理に深く関係しています。」と大使は語る。

「スーダンは、北はエジプト、東はエチオペアなど実に9つの国に隣接しています。国境といっても地図の上の線でしかありませんから、実際にはありとあらゆる民族がいます。大きくはアラブ系アフリカ系に分けられますが、部族は500、言語も100種類以上あります。隣国の難民がスーダンに流入してきたり、逆にスーダンの難民が隣国に避難したりすることで、紛争が極めて複雑になってしまったのです。」

海に囲まれた島国で、ほぼ単一民族国家である日本からすると、想像することすら難しい国情だ。

「確かに内紛が続いていましたが、隣国と戦争はしたことは一度もありません。戦争の多いアフリカの他国から逃げてくる人も少なくなかったのです。」

大使が育った南北内戦時代

スーダンはアラブ人とアフリカ人が住み、多くの民族と多くの文化が存在する社会。南部は長く続いた内戦にとても苦しみ、北部との分離を選んだ。

父親は教師でありながら政治家、母親も教師という家庭で育った大使は、長ずるにつれて自然と政治や国際問題に興味をもつようになっていた。大学で政治学と国際交流学を学び、卒業後は外務省に入省する。

「私はラッキーでした。優秀だったわけではありません。幼い頃から、北部に逃げてくる南部の難民を数多く目にしたこともあり、政治に強い関心がありました。常に読んでいたのは政治学の本。世界と関わることができる仕事は何かと考え、外務省で働くのがよいと思いました。」

その後、大使に大きな転機が訪れる。日本政府から交換留学プログラムのオファーがあったのだ。ODA事業の影響もあり、日本はスーダンで深く尊敬されている国の一つ。日本製品も数多く流通しており、小学校の授業でも日本の歴史や文化について勉強するほどだ。当時から、日本の独特な社会に興味があった大使にとって、日本への留学は思いがけないチャンスだった。

スーダン共和国 駐日代理大使 モハメッド・エルガザーリさん助けてくれた日本へ

2000年に初来日した大使は、まず関西のジャパンファンデーションに語学留学生として身を置く。翌年スーダン大使館で働くために東京へ移り、5年後の2006年に母国外務省に帰任。2009年に再来日して現職に就いた。

「私のキャリアは、大使としては非常に珍しいケースです。日本に留学できたことで、今の仕事があるといっても過言ではありません。」

キャリアを築くきっかけとなり、自分を温かく受け入れてくれた日本に深く感謝しているという大使に、今回の震災について聞いてみた。

「スーダンはこれまで日本からたくさんの支援をしてもらいました。今こそ恩返しをするときだと思っています」

スーダン政府は、被災者の追悼と激励のため一週間にわたって日本のことを考え祈り続ける「日本週間」を設けた上、義援金約800万円を送った。国民の平均年間所得が4万円(日本は370万円)に満たないスーダンの人々にとって、非常に大きな金額だ。スーダン大使館は、たとえ原発事故が起こっても、日本を支えるためとどまり続けることを早々に表明した。

「以前、開発支援のためスーダンに来ていた日本人と友達になりました。ホテルも満足になくテント暮らしで、魚をとって食べたり、大雨が降ったらテントが流されるという状況の中、彼は2年間スーダンにとどまって支援してくれました。彼のことを思い出して、日本が苦しい今だからこそ、日本にとどまって、できる限りの協力をしたいと思ったのです。」

これからのスーダン

スーダンでは昨年24年ぶりとなる総選挙が行われた。
投票期間中、心配されたような混乱は発生せず、平和な国をめざす土台が築かれつつあることが実証された。南部スーダンの独立により長かった南北の争いも集結し、経済においても先進的な制度を進んで取り入れようとするなど、新たな国づくりに向けた気運は非常に高いという。

「アフリカの中でも、他国から目標とされる国を目指して邁進していきたい。そのためにも、日本にはこれからも大切なパートナーでいていただきたいと思っています。そして、被災された日本のみなさんが一日も早く元気を取り戻されるよう、心から祈っています。」

スーダン人は人類ではじめて鉄をとかした人種だという。最初の人類もスーダンで生まれたといわれている。大使の口調とまなざしからは、遠い祖先の時代からアフリカの歴史を切り開いてきた人々の子孫としての誇りが感じられた。

次代の経済成長が期待されるスーダンなどアフリカ諸国。そこに広がる全く新しい市場には、多種多様なビジネスチャンスが溢れている。「日本の焼肉屋をスーダンでも展開してみたいですね(笑)」最後に大使は笑顔でそう言った。大使の夢が実現する日は、そう遠くないだろう。

取材: 四分一 武 / 文: 中村洋子事務所

メールマガジン配信日: 2011年5月25日