2020年4月1日、株式会社デジタルホールディングス(旧:株式会社オプトホールデンイング)のグループに、新たな企業が誕生した。「ファストDXカンパニー」として、企業のDXサービスの創出をシステム開発から支援する、株式会社オプトデジタルである(株式会社オプト100%出資)。「ファストDX」とは、「早く・安く・使える」サービス開発をコンセプトに、企業のデジタルシフトにスピード感をもって支援するオプトデジタルが仕掛ける新たな取り組みだ。同社の代表取締役には、損害保険の分野で数々のDXサービスを生み出してきた野呂健太氏が就任した。本稿では、同社設立の背景や今後の展望はもちろん、野呂氏ご本人の生い立ちからキャリア形成にわたるまで、その素顔にフォーカスしてお伝えしたい。

ミッション:企業のデジタルシフトを柔軟さと実行力で実現する。

私たちは、企業のDXサービス創出をシステム開発から支援する「モノづくり集団」です。近年、ソーシャルメディアやスマートフォンの急速な普及により、人々のコミュニケーションの手段は、電話やメール、郵送から、大手プラットフォームアプリ等を活用したチャット形式へと移行してきました。また、コロナ禍における新しい生活様式の定着により、デジタルを活用した非対面のコミュニケーションの需要は急速に高まっています。今、企業に求められているのは、電話や対面を前提とした従来型の顧客接点の在り方を見直し、「デジタルシフト」を実現させること。とはいえ、日本におけるデジタルシフトは、欧米や中国に比べて遅れをとっているのが現状です。そもそも企業のデジタル化には、アナログ情報をデジタルに置き換えていく「デジタイゼーション」、FAX・電話などの業務プロセスをデジタル化する「デジタライゼーション」、ビジネスモデルそのものをデジタル化する「デジタルトランスフォーメーション(DX)」という3つのフェーズがあります。ちなみに多くの企業がまだ「デジタイゼーション」を進めている段階にあり、「DX」は将来的なマーケットの成長余地が大いに見込める領域なのです。

株式会社オプトデジタル 代表取締役 野呂 健太さん私たちオプトデジタルは、柔軟かつスピーディーなシステム開発が求められる「企業のDX支援」に特化し、サービスの設計から開発、PDCAまでをワンストップで提供しています。弊社の強みは、開発にアジャイル方式を採用していること。アジャイル開発とは、たとえば新たなサービスを開発する場合、まずは必要最小限の機能を実装させた状態で世に出し、ユーザーからのフィードバックをもとに改善を重ねていくスタイルを指します。このような手法には、市場の変化への迅速な対応を可能にし、必要最小限のコストとスケジュールでサービスがリリースできるというメリットがあります。また、リリース後に地道に改修を続けることで、最終的にユーザーの声を最大限に反映したサービスへと育てることができるのです。もう1つの強みは、既存の大手プラットフォームアプリ、クラウドサービスなどの汎用技術を活用することで、さらに「早く・安く・使える」システムの開発が実現できること。大手プラットフォーマーとの連携においては、LINE社と国内唯一の強固なパートナーシップを構築しています。これまでの実績としては、LINEを活用した生命保険の給付金請求受付サービスの開発・導入、LINEによる損害保険の保険金給付サービスへの自動応答機能(チャットbot)のサービス開発の支援などがあります。月間8,400万人以上のユーザーを持つLINEを活用すれば、ユーザーは新たなアプリケーションをインストールする手間もなく、使い慣れたインターフェースのため、サービスの利用に対するハードルが下がります。企業にとっても、開発コストを大幅に抑えられるというメリットがあるのです。そのほか、独自開発の画像認識AIを提供するイードリーマー社と共同で、自動車事故のAI自動修理見積サービスの開発も行ってまいりました。金融業界を中心に、このようなデジタルシフトによる業界初のイノベーション事例を、数多く世に送り出してきた実績があります。

また、会社設立から4ヵ月の間に、2つのSaaSサービスをリリースしました。特に、新型コロナウィルス感染症が拡まったことで、従来型の運用が困難になったコールセンターにおいて、我々のSaaSサービスへの需要が高まっています。ユーザーが企業に問合せをしたいとき、企業のWebページから「LINEで相談」というボタンを押せば、チャットを使って手軽に連絡ができる「Deep Connect」というサービスです。「三密」を避けた少人数運営のコールセンターでも、電話が繋がりにくいというユーザーのストレスを回避できると同時に、チャットbot機能により一部の対応を自動化することで、コールセンター業務の効率化も実現できます。このように、大手プラットフォームアプリを活用し、ユーザーの利便性を向上させたオンライン受付サービスは、あらゆる業界に展開できると考えています。私たちは今後も、「DX」×「プラットフォーム」で、企業とユーザーの顧客接点を、デジタルサービスにより支援してまいります。

活発なサッカー少年でありながら、ときには文学少年の一面も。

生まれは三重県四日市です。両親と兄、私の4人家族で育ちました。家庭の教育方針は、まったくの放任主義。親から勉強を教わったこともなければ、「勉強しなさい」と言われたこともありません。小学生時代は、サッカー少年団でスポーツに励む一方、昼休みには図書室に籠って、ひとり読書に没頭するような子どもでした。『エジソン』や『織田信長』などの偉人伝のほか、科学や雑学系の本に強く惹かれましたね。また、映画化された小説の原作を読み、実際に映画を観ることで、自分のなかで膨らんだ登場人物や描写のイメージが、映画監督の力でどのように表現されているのかを確かめることも好きでした。

小・中学校時代の私は、とにかく兄の影響を大きく受けていました。カッコ良くて成績も良く、女子から人気のあった兄に対して、年子だったこともあり憧れる一方、負けたくない気持ちもあったのだと思います。立候補して小学校の生徒会長になったのも、中学校でテニス部に入ったのも、いま思えば兄の真似だったのかもしれません。スケボーを始めたのも、ファッションに興味を持ったのも、すべて兄の影響でした。勉強は、わりと出来たほう。当時は100点満点の成績をとると、父から「おこづかい」がもらえたんです(笑)。それをモチベーションにしたり、通知表の「◎」の数を兄と競ったり…。中学時代は、熱心に勉強していましたね。

人生最大の影響を受けた、祖母の存在。

私の祖母は、いわゆる大阪商人でした。運送会社を一代で築き上げた人ですから、当時としては相当レアな女性だったことでしょう。高校生のとき、私は祖母の会社でアルバイトをした経験があります。バイクの購入資金を稼ぐため、短期で働かせてもらったのです。祖母が経営する運送会社は、三重の特産品である蛤(はまぐり)などの海産物を扱っていました。アルバイトの私に与えられたのは、フォークリフトを操縦し、10tトラックに商品を積み込んでいく仕事。もしも誤ってエンストなんて起こせば、1箱3,000円もする蛤を落として、商品代金を弁償するハメになってしまいます!そんな緊張感のおかげで、高校生の段階で半クラッチも覚えたし、操縦の腕はかなり上がりましたね(笑)。祖母が忙しく働く姿は、今でも鮮明に覚えています。現場の隅々まで誰よりも把握し、要領が良く、決断も非常に早い。自ら走り回って、時には自分が率先して積み込みも手伝う姿が印象的でした(現在の私の仕事のスタイルは、その時の祖母の仕事のスタイルが刷り込まれているのかもしれません)。そうかと思えば、「今からサバンナや北極行ってくるわ~♪」…と、2、3週間ほど帰ってこないようなブっ飛んだ人なのです(笑)。そんな祖母の生き方には、大いに刺激を受けましたね。80歳を超えましたが今でもパワフルに働いています。

株式会社オプトデジタル 代表取締役 野呂 健太さん16歳。野宿しながら2週間、北海道を原付バイクで単独一周!

高校は、第一志望の高専に進学しました。化学や素材関連、プラモデルづくりが好きだという程度で、高校受験の段階でよくも進路を理系に振り切ったものだと、当時の自分に対して驚きます(笑)。しかも、高専は5年制。3年生時点での大学受験もなければ、校則も緩く、入学してみると、そこは「変わり者」の集団みたいな環境でした。入試倍率が高いだけあって成績は優秀な人が多いのですが、なんとも言えない自由な空気が漂っていましたね。高専時代に入った部活はテニス部。中学時代に県大会でシングルス3位に入賞したこともあって、後に男女70人が所属する高専テニス部のキャプテンも務め、仲間と充実した日々を送ることができました。

高専時代の忘れがたい思い出といえば、16歳の夏休み、北海道を独りで1周したことでしょうか。あるとき思い立ってフェリーを予約し、その翌週には北海道へ。そして、野宿しながら2週間、原付バイクで1周したのです!(笑) 免許の取得から旅程にわたるまで、すべてを自分の意志で決め、行動するのは初めての経験。冒険心と無限の可能性に満ちた、心躍るスタートでした。しかし、実際の道のりは本当にキツかった…(笑)。夏とはいえ、当時の北海道の気温は15℃に満たない日もあり、バイクで走るにも野宿をするにも、恐ろしく寒いのです。また、苫小牧、富良野、旭川、稚内、網走、知床、羅臼、釧路、帯広…と、原付バイクで移動したわけですが、とにかく町から町への距離が長い!街灯もなく、真っ暗な樹海を独りで走り続けた夜は、さすがに恐怖で震えましたね。たとえ野宿中に熊に襲われたとしても、何ら不思議のない大自然でしたし(笑)。さすがに今、独りで同じチャレンジをしたいとは思いませんが、16歳で経験したからこその価値ある冒険でした。ちなみに旅先での出逢いやコミュニケーションは、「人見知り」のせいもあってか、ほぼ皆無。ただ、バイク同士がすれ違うたび手を挙げて合図を送るツーリング文化に触れたときは、バイク乗り同士の一体感があって楽しかったですね。まだ16歳の少年が、一人前の大人の仲間入りができたような気がして、非常に嬉しかったものです。

株式会社オプトデジタル 代表取締役 野呂 健太さん世間の「当たり前」を疑い、自分の頭で考える。そして、やり切る!

ちなみにその後、自動二輪の免許も取りました。それも、教習所に通うのではなく、免許センターでの「一発試験」という過程を選んで取得したのです。この方法には、技能試験の難易度が高くなる一方、免許取得に要する費用が大幅に抑えられるというメリットがありました。免許といえば、教習所に通って取るのが一般的でしょう。いま振り返ると、私には当時から、世間の常識よりも、より合理的な手段や方法を自身で調べて選択しようとする習慣があったようです。そして、自分が「やる」と決めたことは徹底的にやり切る!難関といわれ、毎回コースが変わり、一度落ちたら次の試験は一週間後となる技能試験にも、無事4~5回で合格(これは優秀なほうらしいです)。それもそのはず。試験に落ちるたびに、自分がなぜ不合格だったのかを試験官を捕まえて細かくフィードバックしてもらい、次回の対策を徹底的に行っていました。

将来を考えると、大学院へ進んだほうが良さそうだ…。就職率の高い高専でしたが、いろいろ調べた結果、院へ進むことに決めました。高専でも研究に取り組むことはできたのですが、企業や国との共同研究をはじめ、より高度で深い研究活動にも興味があったのです。電機や自動車メーカーへの就職も視野に、豊橋技術科学大学工学部の電気工学の研究室に所属。豊橋のキャンパスは周囲に何もなく、道路にキャベツが落ちているような田舎でした(笑)。海沿いの大学だったので、このとき初めてサーフィンに出逢い、今でも続けています。当時はサーフィン部に入り、他に娯楽もない場所なので、2日に1回は波乗り。海から上がって濡れた髪のまま授業を受ける日も少なくありませんでした。

株式会社オプトデジタル 代表取締役 野呂 健太さん自己分析と面接対策を徹底し、第一志望の内定を獲得!

リーマンショック後の就職氷河期にありながら、私は第一志望のNTTドコモから内定をいただくことができました。当時は10万人に上る学生からのエントリーに対して、内定者はわずか250人という高倍率。ちなみに大学のOBにはドコモに入社した先輩がいなかったので、私は大学院では一般的な教授推薦ではなく、自由応募のエントリーでした。高い競争率にもかかわらず、私が第一志望の会社から内定を獲得できた要因の一つは、就活のプロセスを通して、自己分析と面接対策を徹底したことにあると思います。私が所属していた大学のゼミには、『野呂の面接100問答』なるファイルが、今でも後輩に継承されているそうです(笑)。それは、私が企業の面接を受けるたびに、答えに詰まった質問をWordファイルに追記し、徹底的に思考の整理を重ねた生々しい形跡です。『面接100問答』は、意図して作ったわけではありません。一つの面接で答えられない質問があると、純粋に悔しかった。次回、どんな質問が来ても的確に答えられるよう対策した結果、50ページ50,000字に及ぶ文章になったのです(笑)。就活の終盤頃には、自己分析は完璧なものになっていましたね。

プロジェクトリーダーとして、業界初のDXサービスを数多く創出。

NTTドコモ時代の後半(約3年間)は、損保ジャパンへの出向という形で、保険会社のデジタルシフト推進のプロジェクトリーダーを担っていました。手がけた案件の一つに、LINEを活用した保険金請求サービスがあります。こちらは現在、損保ジャパンに在籍する10,000名の職員が、年間数十万件に上る保険契約者の事故対応に活用しています。保険契約者はそれまで、事故発生時に担当者に架電し、事故状況を説明する必要がありました。現在の事故受付は、LINEのチャットで完結してしまいます。さらに、それまで約2週間もかかっていた保険金の請求業務が、最短約30分で完了するようになったのです!ちなみに同サービスは保険契約者に限らず、職員側にもメリットがあります。たとえば、チャットシステムを使うことで、職員は在宅での事故対応が可能になります。セキュアな環境構築が前提にはなりますが、コロナ禍の中で、安心・安全な環境から顧客対応ができることは非常に意義のあることだと考えています。

自分の生きた証を残したい。その情熱を胸に、新たなチャレンジへ。

オプトとのご縁は、私が損保ジャパンのDXサービス開発に携わっていたときに始まったものです。当時のプロジェクトは、LINEの開発パートナーである「オプト」と、「LINE」「損保ジャパン」の3社で取り組んでいたのです。保険業界に限らず、日本の企業における顧客接点はいまだにFAXや郵送などのアナログなやり取りが多く遅れている…。世の中を便利にし、人々の生活を確実に豊かにしていくDXの波を、ぜひとも業界を超えて広げていきたい!そう考えていました。そんな私にとって、現在の「オプトデジタル」は、まさに自分のやりたいことが実現できる理想の組織でした。とはいえ、実際にオプトから会社設立と代表取締役就任のオファーを受けた際には、正直かなり迷いました(笑)。ドコモでは大きな不満もなくキャリアを積んでいたこともあり、積み上げてきたキャリアを捨てることにも迷いがあったのです。悩んだ結果、新たなチャレンジを選択することにしました。最大の理由は、自分自身のパッションの源泉に、「自身が生きた爪痕を残したい」という想いがあったからです。ドコモは確かに大きな組織であり、やり甲斐のある仕事ができる環境もありました。しかし、自分が本当に見たい世界(業界を超えて企業のデジタルシフトを推進し、世の中全体に変革を起こすこと)を実現したいなら、やはり大企業の中間管理職ではなく、自分の裁量で組織を動かせる立場で仕事をするべきだと考えたのです。

株式会社オプトデジタル 代表取締役 野呂 健太さん野呂社長が描く、オプトデジタルの未来。

DXとは決して「華やか」なものではなく、むしろ「泥くさい」ものだと思っています。レガシー企業の現場のオペレーションを、いきなり一変させることなどできません。新たな取り組みを始める際には、社内の関連部門との数々の調整が必要になるうえに、いざ開発に向けて動き始めたとしても、途中で新たな要望が続々と出てくることが常なのです。だからこそ、クライアントの業務内容への深い理解はもちろん、さまざまな知識やノウハウが必要になる。企業のデジタルシフトを実現してきた数々の実績を武器に、クライアントと泥くさく伴走できることこそが、私たちの強みなのです。まずは具体的なソリューションを世に出してからがスタートです。机上の空論で終わるのではなく、クライアントが抱える課題やニーズを解き明かし、ソリューションの開発までをサポートする。私たちのサービスが、今後さまざまな業界に行きわたり、企業とユーザーが、「簡単・便利に・さらに深く繋がる」世界を実現していきたいと思います。

 

◆ 編集後記 ◆

まだ30代前半と若く、見た目も爽やか系イケメンの野呂社長。幼い頃から成績も良く、スポーツでもしっかりと結果を残されてきた。さらに、就活においても第一志望のNTTドコモの内定を見事に勝ち取り、順調に出世を遂げてこられた。そんな彼だが、ご自身のことを「決してスマートなタイプではない」と評価する。「自分のやり方は、ボーリングに例えると〝ガターバンパーが立ち上がったボーリング〟。とにかく壁にぶつかりまくります(笑)。だけど、決めたことは必ずやり切るという一点において、最終的には〝ストライク〟を獲るイメージでしょうか」…確かに、免許取得時のエピソードや進学・就職における物事への取り組み方には、彼独自のスタイルが一貫しているように思える。まず、「やる」と決めたら、それを実現するために最も効果的な方法を、自分の頭で考える。たとえ自分の仮説が世間の常識や大多数の意見と異なっていても、自ら確かめるまでは納得しない性分だという。結果的に、人生の大事な局面において、得たいものを着実にモノにしてきた経験が、彼のなかで自分への信頼、自信に繋がり、さらなる好循環を生んできたのだろう。

そんな完璧すぎる野呂氏にも、実は弱点(?)があった!なんと、極度の「人見知り」らしい。学生時代に居酒屋でアルバイトをしていた当時、酷い人見知りのせいで調理場に籠り、ホール業務には頑なに出なかったそうだ(笑)。一方で、生徒会長や部活のキャプテンなど、リーダーとして活躍できた理由は、気心知れた人たちに対しては「人見知り」が発動しないからだという。「ときどき社員からも、社長が不愛想に見える瞬間がある…なんて言われることがあるのですが、それは人見知りのせいで、どう接して良いのか戸惑っているだけです」と笑う。いかにも完璧に見える一方で、そんな人間らしい一面も見せてくださった。2020年4月の設立ながら、既に大手企業との取引を次々と実現しているオプトデジタル。今後の成長が、ますます楽しみである。

取材:四分一 武 / 文:アラミホ

メールマガジン配信日: 2020年11月25日