北海道で「さくらんぼ」がとれることはご存知だろうか。さくらんぼといえば山形のイメージが強いが、実は北海道芦別市(あしべつし:富良野から車で約30分 / 星の降る里と呼ばれる地域)に、国内外から毎年リピーターが訪れる、知る人ぞ知る観光農園がある。来園者のなかには、なんと30年以上も通い続けるファンもいるそうだ。人々の心を惹きつけ、毎年のように足を運ばせるその農園の魅力は、芦別のみで栽培される希少品種を含めた〝こだわりのさくらんぼ〟と、訪れた人々の〝幸せな休日〟をとことん追求する、大橋さくらんぼ園ならではの心温まるホスピタリティにある。

「今まで食べたことのない美味しさ!」「さくらんぼに対するイメージが変わった!」…人々は、大橋さくらんぼ園での感動体験を口々に語る。北海道のさくらんぼの収穫時期は、山形よりやや遅れて7月上旬~8月上旬。今年は読者の皆様に、大橋さんの〝感動のさくらんぼ〟をぜひ味わっていただきたい。そして、外出自粛が解禁された際には、ご家族やご友人と現地を訪れ、北海道の雄大な自然、笑顔あふれる収穫体験を、ぜひとも楽しんでいただきたいと思う。
(今回は読者限定の特典つき!「編集後記」をご参照ください)

有限会社大橋さくらんぼ園 代表取締役 大橋 正数さん東京ドームがすっぽり!国内最大面積のテーマパーク型さくらんぼ園♪

大橋さくらんぼ園は、昭和45年より〝さくらんぼ狩り〟を行なっている観光農園です。畑の面積は5ha。東京ドームがすっぽり入る広大な土地に、55品種・1500本に及ぶさくらんぼの木が植えられています。入園料をお支払いいただくと、さまざまな種類のさくらんぼが、時間無制限で食べ放題!毎年7~8月の収穫期には、お子様からお年寄りまで、国内外から約2万人のお客様が〝さくらんぼ狩り〟に訪れます。品種によって熟す時期が異なるため、3種類の畑すべて、最高の食べごろの〝完熟〟を待って開園を迎えます。ハウスに一歩足を踏み入れれば、そこはまるで別世界!色や大きさ、味の異なる多種多様なさくらんぼが、たわわに実って木々に煌めいています。ご自身の手で摘み取り、食べ比べる楽しさ、もぎたてを味わえる感動体験に、多くの喜びの声をいただいております。

〝土づくり〟にこだわり、40年以上前から化学肥料を使わずに栽培

私たちは、なにより「木が健康でなければ!」と考えています。だからこそ、〝土づくり〟には大変こだわってきました。たとえば、畑を34区画に分け、土中のミネラルが十分に行き渡るよう管理しています。これは、樹木にとって有用な微生物や生物の活性化を促すため。結果的に木も健康になり、ミネラルたっぷりの果実になるのです。また、土中の酸素が不足すると、木は病弱になってしまいます。特にさくらんぼの木は、酸素を膨大に必要とする樹木。土中の微生物も同様に、酸素がなければ元気に活動してくれません。そのため、収穫が終わってから雪が降り始める季節まで、土の中に酸素を送り込む作業を徹底。さらに、冬の間は炭焼きの小屋を建て、3~4ヶ月かけて炭を作ります。畑に混ぜた炭には、有害物質を吸着し、土中の酸素濃度も高める作用があります。また、炭からとれる副産物の木酢にも、樹木に活力を与え、自然治癒力を高めてくれる働きがあります。もう一つのこだわりは、化学肥料を一切使わないこと。かれこれ40年以上、堆肥と有機質肥料による栽培を続けてきました。化学肥料と比較するとコストは格段に上がりますが、天然由来の肥料で育つ健康な木にこそ、安全で美味しいさくらんぼが実ると信じて続けてきました。

さくらんぼ狩りシーズンには、飛行機で毎週訪れる熱烈なファンも!

〝黄金の生きた土づくり〟にこだわり、手間ひまかけてようやく実るのが、私たちの自慢のさくらんぼ。ちなみに芦別は、さくらんぼの栽培に適した内陸性の気候です。真夏になると、国内最高気温を記録するほど暑い日もあるんですよ!一方で、夜は非常に涼しくなります。この激しい寒暖差が、果実の糖度を高めてくれるのです。お客様のなかには、「ここのさくらんぼに勝る味はない!」と、本州から毎週さくらんぼ狩りにお越しになる方もいらっしゃいます。お客様の「美味しい!」という感動の声、ひとくち食べてこぼれる笑顔に触れたときには、まるで自分たちが褒められたかのように嬉しいものです。本物のさくらんぼの味を提供したいと願い、年間ほんの1ヵ月半という短い収穫期間のために、すべてをかけて取り組んできた日々が報われる瞬間です。

毎年ファンが待望する、人気品種のラインナップといえば!?

有限会社大橋さくらんぼ園 代表取締役 大橋 正数さん全国的に知名度の高い『佐藤錦(さとうにしき)』『紅秀峰(べにしゅうほう)』をはじめ、55種類のさくらんぼが続々と実をつける当園ですが、ぜひ皆さまにお召し上がりいただきたい自慢の顔ぶれがあります。

まずは、当園オリジナルの品種である『勝錦(ほまれにしき:先代の大橋勝が偶然発見した品種)』。なかには樹齢50年を超え、大粒の果実を枝いっぱいにつける大木もあり、皆から『ほーちゃん』と呼ばれる名物スポットとなっています。また、『平和錦(へいわにしき)』も芦別でしかとれない希少品種です。

人気No.1は、『南陽(なんよう)』と呼ばれる高級品種。可憐なピンク色の粒は、『佐藤錦』の1.5倍の大玉!一方で、種は小さく食べ応え抜群。〝さくらんぼの王様〟と呼ばれるだけあって、高級感に満ちた独特の風味は、『佐藤錦』を目当てに訪れたお客様が、思わずなびくほどのインパクトを誇ります。

続いて人気があるのが、『月山錦(がっさんにしき)』と呼ばれる大粒の黄色いさくらんぼ。こちらは〝さくらんぼの女王〟と呼ばれており、色・大きさ・味、すべてにおいて特別な存在感を放っています。日本で最も糖度が高い品種として知られ、酸味のない濃厚な甘さが特徴。たいへん人気が高いのですが栽培が難しく、あまり市場に出回っていない希少品種です。

 大橋さくらんぼ園のオンラインショップでは、個性豊かなさくらんぼの味を、皆様のご自宅へお届けしています。本来なら芦別までお越しいただき、もぎたての完熟の味を体験いただきたいところですが、今年は遠方からの観光は厳しいかもしれません。心を込めてお届けしますので、私たちが丹精込めて育てたさくらんぼを、ぜひ味わっていただけると嬉しいです。

私たちが、毎年収穫しなければならないもの

有限会社大橋さくらんぼ園 代表取締役 大橋 正数さんそれは、美味しくて安全なさくらんぼ。そして、それを味わい楽しんでくださる〝お客様の喜び〟です。せっかく来園されたからには、笑顔と感動、最高の思い出を持ち帰っていただきたい!そんな想いで試行錯誤を重ね、お客様にとって理想の環境を追求してきました。たとえば、畑までの送迎は、当園オリジナルのオープンカーで!さくらんぼの枝々をくぐり、傾斜地を一気に走り抜けるスリル満点のドライブは、お子様からも大好評です。雨よけドームを採用している当園なら、天候も関係なし。木々には名札を付け、赤・白・黒と、視覚的にも楽しめる畑づくりを心がけています。実は、故意に味の劣る品種を散りばめて植えることも。美味しい品種がさらに際立つサプライズを仕込むと、さくらんぼ狩りがさらに盛り上がるのです(笑)。

私たちが、お客様に〝幸せなひととき〟を提供する場所であり続けるためには、スタッフ一人ひとりが幸せであることが重要です。ともに働く仲間を信頼し、家族のような絆を結ぶこと。その安心感があって初めて、「仲間へ貢献したい」「お客様を喜ばせたい」という想いが育まれ、接客やサービスの向上、さまざまなアイデアに繋がっていくと思うのです。「笑顔を作る」「思い出を作る」「感動を作る」「人を作る」…これが、大橋さくらんぼ園が掲げる理念。さくらんぼ作りに取り組む仲間を、私自身が仕事を通じて幸せにし、お客様に〝期待を超える感動のさくらんぼ〟をお届けしたいと思っています。

大橋さくらんぼ園、開墾の歴史。

大橋農園の初代にあたる祖父(大橋作治)は、幼少期に父親に連れられ、福島から北海道へ移住してきました。農地を求め、芦別へ落ち着いたのは昭和15年のこと。終戦後の昭和21年に政府の払い下げを受け、土地を取得したことが大橋農園の始まりでした。未開墾の険しい土地を耕すのに、当時は鍬やスコップだけの手作業。長時間の労働で、祖父の手は内側に丸く固まっていたそうです。高収益の稲作を望んだものの、丘陵地には向かないため断念。試行錯誤の末、芦別市の方針に従い、葡萄の栽培を始めました。その苦労が実り、北海道の品評会では何度も1位を受賞。昭和39年、私の父・勝(まさる)が新たに畑を購入し、作付けを2倍に増やしました。父は祖父に負けず劣らずの働き者で、周囲からは〝人間機械〟と呼ばれていました。ところが、その年から葡萄が霜害に遭い、3年連続の不作に見舞われます。ほとんど収穫できない状態が続き、経営に行き詰ってしまったのです。将来への希望が見出せずに途方にくれた父の目に映ったのが、防風林として植えていたさくらんぼの木。壊滅状態の葡萄の隣で、真っ赤な果実が大豊作を迎えていたのです!さくらんぼは当時、収穫して販売する果物としては一般的ではありませんでした。父はこのとき、大きな決断をします。祖父が苦労して育てた葡萄の木を切り倒し、さくらんぼの木を植え始めたのです。断腸の想いだったに違いありません。しかも、さくらんぼというのは、植樹してから最低でも3年間はまったく収穫のない作物。まともな収量が得られるまでには、8~9年かかるのです。祖父は当時の方向転換で、身心ともに弱ってしまいました。畑からの収入がない期間、父は葡萄を切り倒しつつ、夜間に炭鉱の仕事をして生計を立てていました。

祖父による開拓の苦労、泣く泣く葡萄を切り倒し、さくらんぼ作りに人生を捧げてきた父・勝の努力がようやく実ったのが、平成18年のこと。『第7回全国果樹技術・経営コンクール』にて、大橋さくらんぼ園は『農林水産大臣賞』という最高賞をいただくことができました。

3代目園主、正数さんの幼少期のエピソード。

有限会社大橋さくらんぼ園 代表取締役 大橋 正数さん私には、スポーツに没頭したり、友達と遊んだりというような、若き日の青春らしい思い出がほとんどありません。というのも、母が『エホバの証人(キリスト教系の新宗教)』の熱心な信者だったため、幼い頃から弟とともに、活動に連れまわされていたのです。大橋家は、農地を求めて北海道へ移住し、未開墾の土地を耕すという過酷な労働で生計を立ててきた家系です。気性の荒い男たちの家に嫁いだ母にとっては、順応するのも一苦労でした。さらに、不作が続いたり、火災で自宅が全焼したり…。借金が膨らんだ結果、母にとっては宗教が心の拠りどころだったのでしょう。週に3度の集会のほか、家々をまわる布教活動。私たち兄弟は、家業に加えて宗教活動も手伝わされていたので、もはや普通の生活をすることは不可能でした。たとえば、部活動。宗教活動が優先のため、忙しい運動部には入れません。本当はスポーツが大好きだった私は、農家の息子ですから体力には自信がありました。マラソン大会では練習せずとも常に上位でしたし、球技も得意でした。しかし、『エホバの証人』の信者は、空手も柔道も禁止。3者面談では「格闘技はできません」と先生にお伝えし、競技によっては授業も見学していました。一方で、休み時間は友達とキックボクシングをしていたんですが…(笑)。本心では格闘技が大好きだったのです。幼い頃は何も知らずに母についていった私も、「マンガを読んではダメ」「こんな音楽は聴いてはいけない」と、行動を制限されることに息苦しさを感じるようになっていました。当時は親が悲しむ顔を見たくなくて、信じているフリをしている子ども達も多かったように思います。一方で、入信者の集まりは仲間意識も強く、人間的にも穏やかな方々ばかりでした。今になって、当時の教えが数々の学びを与えてくれたと感じています。幼少期から23歳まで、人のために生きることの大切さ、キリストの教えを、さんざん教え込まれてきましたから。

父親との衝突から身についた、物事を突き詰めるクセ

高校卒業後は、しばらく家業を手伝っていました。当時の父は炭鉱の仕事を辞め、さくらんぼ園に建てた工場で、木工の仕事をしていました。日中は畑仕事、夜間はアイヌ人形や文房具を作るという生活です。大橋家の人間は、手先が器用で凝り症。私も例にもれず職人気質のため、作業自体は楽しいものでした。一方で、父との関係には大変な亀裂が生じていました。怒ってばかりの頑固おやじに、いつも反発していたのです。「なにくそ!負けてなるものか!」…父から頭ごなしに怒られるたび、自分のほうが正しいことを証明するために、必死で物事を追求するようになりました。このときの経験が、現在の仕事に活きているので、今では父に感謝していますが…。当時から、何事も結果が出るまで考え続けるのがクセなのです。さくらんぼのこと、自分自身の課題、従業員のこと…。現状に対する課題意識を持ち、解決に挑んでいくプロセスが好きなんですね。学生時代は複雑な数式を解くことが得意だったので、それと同じような感覚なのかもしれません。とにかく疑問が生じたら、とことん解決しないと気が済まない。本を読んで理解できない部分があれば、著者に直接お伺いすることもあります。経営コンサルタントの意見なども積極的に伺い、より良い農園づくりに役立つことであれば、どんどん取り入れていきたいと考えています。

3代目園主になるまでの紆余曲折

実のところ、私は一度さくらんぼの仕事を離れています。20歳の頃から、マッサージや鍼灸、整体など、人の身体の痛みをとることに興味を持ち、書物を読み漁るようになったのです。農園を離れたのは昭和63年、私が23歳のとき。札幌の整骨院でアルバイトをしながら、資格取得に向けて勉強することを決めました。忘れもしない、札幌へ旅立つ前夜。木工製品を徹夜で仕上げて、ようやく芦別を発ちました。すると、弟から電話が…。なんと工場が火事で全焼し、苦労して仕上げた木工製品が、すべて丸焼けになってしまったというのです!これを機に、大橋家はさくらんぼ作りに専念することになりました。本来は昭和40年の新幹線開通に向け、出荷用に育ててきたさくらんぼ。「お金を払うから食べさせてほしい」という近所の方々の声をヒントに、徐々に〝観光農園〟としての経営にシフトしていました。本格的に〝さくらんぼ狩り〟にコミットするようになったのはこのときからです。芦別を出て2年、私が25歳のとき。難関試験に向けて勉強しながら、専門学校への入学金づくりに腐心していた私に、母親から1本の電話がありました。父の体調が良くないので、農園に戻ってきて欲しいというのです。帰ってみると、父はたいして体調など悪くなかったのですが(笑)。その頃には農園も現在の半分ほどの規模へと拡大していたので、働き手が必要だったのでしょう。

職人気質の父と、商売人気質の母とともに

大橋さくらんぼ園では平成元年から、雨よけのビニールハウスをかけるようになりました。そのほうが良質な商品が収穫できるし、雨天でもさくらんぼ狩りを楽しんでいただけると考えたからです。それから平成19年くらいまで、次から次へとお客様が押し寄せるようになりました。気づいたときには、日本で最大のハウス面積へと拡大していたのです。もとは丹精込めて育てた葡萄を切り倒し、手探りで始めたさくらんぼ園です。父も私も、まさかここまで成長できるとは思っていませんでした。ちなみに130棟に及ぶハウスにビニールをかける作業は、1棟につき2~3時間かかります。もはやそれだけで収穫期が終わってしまうような気の遠くなる作業でしたが、母はビニールをかけたほうがお客様が来ると譲りませんでした。願いが叶わないと、いつまでも言い続ける人なのです(笑)。父と私は「とにかくいいものが作りたい!」という職人気質の人間でしたが、商人の家に生まれた母は、「どうしたらお客様に喜んでいただけるか」を常に考えている人でした。自分は作業に入らないくせに、いつまでも言い続ける母に根負けし、我々は大変な作業に取り組む覚悟をしたのでした(笑)

園主となってから経験した、最大の転機

個人的なことで恐縮なのですが、私は平成28年に離婚をしています。原因のひとつは、私が目の前の仕事に没頭しすぎて、経営を支えてくれていた妻に、決定事項ばかりを伝えていたことでした。妻との離婚を機に、たちまち社内は混乱。従業員のほとんどが辞めてしまうという事態に陥りました。社長と従業員の関係というは、夫婦や家族とは違います。妻がいなくなった途端、それまでのように私がすべてを決め、従業員への指示・管理をするという経営が通用しないことを身をもって知りました。そこからは、従業員とともに会社の方向性を話し合い、決定事項を指示するのではなく、何事も相談して決めるよう心がけてきました。どんな農園にしていきたいのかを従業員一人ひとりに考えさせ、彼らにメンバーの管理も任せることで、結果的に一人ひとりのモチベーションも上がることを学びました。従業員に「任せる」ことで、自分がこんなにラクになり、経営者の仕事に専念できるとは全然知りませんでした(笑)。現在の大橋さくらんぼ園は、10年以上働いてくれているメンバーも含め、7名(来年は9人になります!)の従業員が頑張ってくれています。あのとき辞めてしまった従業員も、「本物のさくらんぼを作りたい!」という熱い想いを持ったメンバーばかりだったので、今でも申し訳なく思っています。これからは、お客様との絆を深めるためにも、理念に共感して集まってくれた従業員のためにも、私自身が仕事を通して関わる人々を幸せにしていきたいと思っています。

3代目園主が描く、大橋さくらんぼ園の未来

有限会社大橋さくらんぼ園 代表取締役 大橋 正数さん私たちはこの50年間、さくらんぼ一筋に歩んでまいりました。しかし、昨今では繁忙期の人手不足に非常に悩まされています。1ヵ月半の収穫のために求人を出しても、70歳以上の方々が数名集まってくださるのが現状です。そこで、いちごやハスカップ、ブルーベリー、プラム、プルーン、桃など、収穫期の異なる果樹を新たに植え、観光農園として営業できる期間を可能な限り延ばせるよう努めています。また、いずれは園内に宿泊施設を整え、外国人就労者の方々を積極的に受け入れたいとも考えています。当園のお客様は、半分がアジア諸国からお越しになる方々です。日本のさくらんぼが、こんなにも海外の方から高く評価されているのは、非常に嬉しいことです。だからこそ、収穫期には外国人の方々を積極的にお迎えし、さくらんぼを収穫した経験や芦別での思い出を、海外へどんどん発信していただきたい。また、繁忙期の人材不足に関する悩みは、全国の農業現場に共通する悩みです。当園ではその打開策として、熊本のみかん農家さんと新たな取り組みを始めました。さくらんぼの収穫期は7~8月。一方で、みかんの収穫期は10~12月。繁忙期が異なっているために、農園同士で労働力のシェアが可能なのです。今後は農園同士の繋がりを大切に、お互いに助け合うことで、それぞれが丹精込めて育てた「日本の本物の味」を、皆さまのもとへお届けしたいと思っております。


◆ 編集後記 ◆ 読者限定のお得な特典つき!

YouTubeで、〝大橋さくらんぼ園〟と検索してみて欲しい。さくらんぼ狩りに訪れた人々の楽しそうな笑顔、特に子どもたちのワクワクに満ちた笑顔が印象的だ。北海道でさくらんぼがとれることはもちろん、「笑顔を作る」「思い出を作る」「感動を作る」「人を作る」という4つの理念を掲げ、まさにそれを体現している素敵な観光地があるなんて知らなかった。木々に揺れる可憐なさくらんぼは、見ているたけで心がときめく。北海道へ行ったら、ぜひ訪れてみたい観光スポットになった。入園料を支払えば、時間無制限で食べ放題!なかには張り切ってモンペ姿で訪れる女性や、「1年分のさくらんぼを食べてやろう!」と意気込んで、救急車で運ばれる方もいるらしい(笑)。ちなみに収穫には、少々コツが要るそうだ。畑には必ずスタッフさんがいるので、摘み方や美味しいサクランボの見分け方を丁寧に案内してくれるという。

さて、人々の心を惹きつけてやまない〝感動のさくらんぼ〟。事実、大橋さんのさくらんぼの味が忘れられず、本州から毎週のように飛行機で訪れる方もいるという。これは一度、食べてみたいと思うはずだ。今年はコロナウィルスの影響で、現地へ訪れるのは少々難しいかもしれない。でも大丈夫!大橋さくらんぼ園のオンラインショップからご注文が可能だ【 https://www.oh-cherry.com/online_shop/ 】こちらのサイトも、まるでさくらんぼ狩りに訪れたかのような錯覚に陥るほど、さまざまな品種の可愛いさくらんぼたちが迎えてくれる。ちなみにオンラインショップの編集も、大橋社長ご自身が手がけているそうだ。画像加工もお手のもの!健やかなさくらんぼが育つよう、木々には穏やかな音楽を聴かせているそうで、さくらんぼへの愛と情熱は並大抵ではない。

今回は特別に、読者限定のお得な特典をつけていただいた。ご注文時の「お客様情報入力フォーム」へ進み、「備考欄」に「ToBeマガジンを見ました!」と添えていただくと、もれなく嬉しいおまけがついてくる。『スペシャル』『プレミアム』をご注文の場合、大橋さくらんぼ園オリジナルの『さくらんぼ酢』または『フルーツ酢』を1本プレゼント。それ以外のご注文は、『さくらんぼ100g増量!』というお得な特典だ。北海道のさくらんぼの収穫期は7~8月だが、希少品種は人気が高いため、予約購入はぜひお急ぎいただきたい。

★スペシャルとは(各品種)

形・色・糖度・大きさが優れた果実で、畑でとれるさくらんぼの10%の優良さくらんぼ。

★プレミアムとは(各品種)

形・色・糖度・大きさがスペシャルと同様に優れた果実。特にプレミアムは大きさが最高の商品で、畑でとれるさくらんぼの3%の優良さくらんぼ。

「50年間お付き合いのあるお客様も、お年を召して今では来られなくなってしまった」と語る大橋社長。新たなお客様、若い方々にもぜひお越しいただきたいとの想いから、幼児の入園料は無料にしているそうだ。〝星の降る里〟と呼ばれ、夜には絶景の夜空が望める北海道芦別市。澄んだ空気と自然あふれる芦別へ、コロナが明けたらぜひ訪れてみてはいかがだろうか。

取材: 四分一 武 / 文: アラミホ

メールマガジン配信日: 2020年5月29日