『エン婚活エージェント』は、「結婚相談所を、もっと始めやすく、もっと便利に。」というミッションのもと、エン・ジャパン(東証一部上場)グループが運営する、来店不要の新しい結婚相談所、婚活エージェントである。今年10月、結婚後の夫婦、または結婚を考えているカップルが、より絆を強くするためのファミリーエンゲージメントプラットフォーム『famion(ふぁみおん)』を新たにリリース。出会いと成婚のサポートから、結婚後の幸せまでをトータルで支援するサービスを展開している。同事業は、代表の間宮氏の原体験から生まれたものだ。本稿では、彼の生い立ちから創業の想い、将来の展望にわたるまで、読者の皆様に詳しくお伝えしたい。

1年以内の成婚率97.2%!「圧倒的低価格」かつ「来店不要」のオンライン結婚相談所。

『エン婚活エージェント』は、圧倒的低価格で1年以内の成婚を実現する、来店不要のオンライン結婚相談所です。大手結婚相談所と比較すると、サービス利用時の会員登録料は10分の1以下、年間費用は半額以下。9,800円の登録料と月会費12,000円(※共に税別)の他に、会員様にご負担いただく費用は一切ありません。安価な初期費用により結婚相談所における婚活が始めやすくなるうえに、お見合い調整費用や成婚料、退会料など、入会後の追加料金も一切不要にすることで、会員様が安心して婚活に集中できる環境を可能にしました。一方で、会員様にとって何より重要なのは、ご成婚へ繋がるご縁に巡り合えること。その点、弊社サービスは低価格を実現しながら、成婚率は23% 。しかも、年々上昇しています。この数字は、高価格帯サービスを提供する業界トップ企業の成婚率28%と比べてもコストパフォーマンスに優れており、多くの評価をいただいています。それが実現できる理由は、弊社の専任コンシェルジュが、会員様の成果(=ご成婚)にコミットしているから。会員様には、毎月6名以上(年間72名以上)のご紹介数をお約束し、ご成婚の実現に向け活動に伴走しています。さらに、業界最高水準の紹介数を満たしたうえで、万が一ご入会から3ヶ月以内にコンタクトが成立しない場合、登録料・月会費をすべてお返しする「全額返金保証」の仕組みも取り入れているのです。「専任コンシェルジュサポート」「独身証明書100%提出」など、結婚相談所として当たり前のモデルに加えて、「紹介人数保証」「全額返金保証」など、他社にない革新的な取り組みで、信頼のおけるサービスを追求しています。おかげさまで現在、ご成婚退会をされる会員様は着々と増えており、そのうち97.2%が活動期間1年以内のご成婚を実現しています。

小学生時代に始まった葛藤の日々が、事業に繋がる原体験に。

エン婚活株式会社 代表取締役社長 間宮 亮太さん

生まれは愛知県犬山市、両親・姉の4人家族でした。小学生時代の私は、とにかく目立ちたがり屋。たとえば、授業中に挙手せず発言をしたり、遠足で行った神社の境内をステージに歌ってみたり(笑)よく言えば「明朗快活」にもなりますが、いわゆる「お調子者」の子どもでした。

明るく楽しい学校生活を送る一方、誰も知らない「裏」の自分を抱えていた小学生時代。それは私が4年生のとき、家庭で起きた突然の出来事から始まりました。ある日の朝、目を覚ました私が遭遇した光景…。それは、ボロボロになってゴミ箱に捨てられた、家族の大切な思い出の品々でした。この日を境に、両親の仲は途端に険悪になっていったのです。毎日のように繰り返される両親の言い争いに耐え切れず、部屋で独り涙を流す日々。 ときにはケンカの仲裁に入ることもありましたが、幼かった姉と私に、なす術などありません。家族全員が身心ともに疲弊していくなか、かつての穏やかな生活が戻ってくることを、ひたすら願うばかりでした。当時の私にとって、家庭の問題は知られたくない恥ずかしいこと。誰かに打ち明けることなどできません。そんななか、学校生活や友達と遊ぶ時間は、家庭の悩みから解放される唯一の楽しみ。しかし、ひとたび両親の言い争いが勃発すれば、遊びに来る予定の友達に断りを入れなければならない日もありました。そのたびに、私のなかで家族のことがコンプレックスへと変わっていったのです。

道を外れかけた中学時代。そんな自分を正してくれたのは、友人の存在だった。

中学校生活の前半は、いわゆる優等生的なポジションだったと思います。学級委員になればモテるし、進学にも有利!信頼する姉の助言に素直に従い、リーダー的ポジションには率先して立候補しました(笑)成績も、ほぼオール5。しかし、中学2年生になった頃、なんだか虚しさを覚えるようになります。結局のところ、それまで私が頑張ってきたのは、「両親から褒められたい」という想いが根底にあったから。しかし、相変わらずの家庭環境のなか、どんなに努力が実ったところで、両親からの注目や承認が期待できるような状況ではありません。頑張る理由が見出せなくなった私は、徐々に悪い方向へと進んでいきました。できるなら家に帰りたくない…。現実から逃れるように、サッカーの練習後など、クラブチームの仲間と夜な夜な出歩く日々が続きました。結果的に、成績はガタ落ち(笑)このままだと自分はダメになる…。変わりたい、現状から抜け出したいと本心では願いながら、ずっと流されていたのです。中学3年生になったとき、ようやく過去の自分と決別する覚悟ができました。幸運なことに、良い刺激をくれる友人には恵まれていたのです。なかでも、甲子園出場という明確な目標に向け、全力で野球に打ち込んでいる友人の存在には、強い憧れを抱きました。一方の私といえば、勉強もサッカーも〝そこそこ〟のレベル。だからと言って、ワルにもなり切れない。そんな中途半端な自分に嫌気がさしていたのです。その当時、『ROOKIES(ルーキーズ)』という野球漫画にも影響を受けた単純な私は、自分も高校では野球部に入って甲子園を目指そうと、友人から野球を教わり始めました。決めたからには、サッカー部は退部です(笑)自分を変えるためにも、それまで付き合っていた仲間とは距離を置く必要がありました。だから、地元から離れた進学校への入学を目指して、塾に通って勉強するようになったのです。

野球に熱中した高校時代。初心者からレギュラー入り!

第一志望校へ無事に合格。念願の野球部に入りました。高校時代の思い出は、まさに部活一色!自分はサッカー部からの転身なので、野球歴の長いメンバーに舐められてたまるかと、とにかく成り上がるのに必死でした。元来の負けず嫌いに拍車がかかり、この時期に異常なほどの競争性が育まれたと思います。たとえ練習後にクタクタな状態で帰宅しても、自分で決めた毎晩のトレーニングを欠かすことはありませんでした。リビングで寝落ちしたあと、飛び起きて何千回と素振りをした日も多々あります。専門書を読み込んだり、手首を鍛えるために重いバットや長いバットを自作してトレーニングしたり、フォームを録画して研究したり。もともと食は細いほうでしたが、身体を大きくするために毎日吐きそうになるまで無理して食べていました(笑)当時は1日でもサボることが怖くて、常に自分との闘いでした。少しでも手を抜いたら、積み上げてきたものが台無しになるような気がして…。これは、今の仕事の向き合い方にも通じる部分ですね。楽しそうに青春を謳歌している友人たちを横目に、自分は野球を極める道を選んだのだと、意地とプライドに燃えていました。徐々に結果が出始め、レギュラー入りも実現。念願の甲子園出場には届きませんでしたが、強豪のひしめく愛知県において、最高でベスト16の成績を残すことができました。

一方で、部活を引退した後の反動は酷いものでした。まず、学校に行かなくなりました。練習がないと、登校する理由がないのです。長年の丸坊主も晴れて卒業!学園祭など、仲間と盛り上がれる学校行事に参加できなかったぶん、青春を取り戻すかのように遊び惚けていました。熱中することがないと、本当にダメな人間なのです(笑)。

高校3年生くらいから、教師になりたいと考え始めていました。自分が野球に熱中することで充実した高校生活を送れたのは、かつて道を踏み外しそうになったとき、導いてくれた友人たちのおかげ。それに対する深い感謝があったのです。過去の私のような人間を、可能性に満ちた人生へと導くことができたなら、それほど素晴らしいことはない。私は両親が教師だったこともあり、〝人の変革に繋がる職業〟を考えたとき、「教育」が最もイメージしやすい分野だったのかもしれません。しかし、教師になるには大学に行って、教員免許を取る必要があります。困ったことに、これまで部活一辺倒だった私は、まったく勉強していませんでした(笑)結果的に、部活動の実績に救われ、教員免許が取れる体育系の大学への推薦入学が決まりました。

バイトに明け暮れた大学時代。実力主義の環境で能力を発揮する。

エン婚活株式会社 代表取締役社長 間宮 亮太さん大学へ行っても、1年ほどは遊んでばかりでした。教師になりたいとはいえ、まだ漠然とした願望。高校野球引退後の燃え尽き症候群のような状況が、長く続いていました。

大学2年生になったとき、ようやく転機が訪れます。きっかけは、アルバイトの経験。一つが、小遣い稼ぎのつもりで始めた居酒屋のバイトでした。偶然にも、明確なポジションアップの仕組みのある会社で、たとえアルバイトでも実力次第で高い時給や裁量が得られる環境だったのです。いつしか私は出世する楽しみを覚え、どんどん仕事に熱中していきました。最終的には3階建の店舗のフロアマネージャー的なポジションまで上り詰め、売上管理やメンバーマネジメントに精を出していました。もう一つは、先輩からの誘いで始めたベンチャー企業の営業のバイトです。仕事内容は、派遣会社の営業として案件を取ってくること。目標達成したメンバーは大いに賞賛され、成果に対する高い報酬が得られる、いわゆる営業会社の風土でした。このような実力主義の環境は、私の競争性に見事に火をつけました。「社長」という生き方に初めて憧れを抱いたのも、このときだったと思います。飲みに行けば、いつも派手に奢ってくれる社長の豪快さに憧れたものです(笑)当時の私は、昼は営業、夜は居酒屋と掛け持ちで働き、学生ながら月20~30万円ほど稼いでいました。若気の至りで、ほとんど服や遊びに消えていきましたが…(笑)。

このようなキャンパスの外の経験は、教師を目指して進学した私に、まったく新しい視点を与えてくれました。それは、〝人の変革〟に関わる手段は、なにも学校教育の世界に限らないということ。むしろ、ビジネスやサービスを通じてのほうが、より多くの人の変革に関われる〝可能性〟を感じたのです。この辺りから、起業やベンチャー企業への就職に興味を持つようになりました。

就職活動を通じて、エン・ジャパンに出逢う。

焼いた肌に、長い髪。チャラい見た目とは裏腹に、電車でビジネス書を読むような意識高い系の就活生でした。外見とのギャップがある自分を、わりと気に入っていたとも言えます(笑)その頃になると、「いつか自分で起業したい」「社長になりたい」という想いが芽生え始めていました。とはいえ、学生のうちに起業するほど明確なプランを持っていたわけではありません。だから就活の道を選んだのですが、私の会社選びには明確な3つの軸がありました。それは、「新たな事業を生み出せること」「関わる人をプラスの方向に導けること」「競争に負けない生き方ができること」。その能力が最短で身につけられる環境を選び、修行しようと考えたのです。当時はもう、早く社会人になりたかった。一刻も早く稼ぎたいし、自分が求める道を突き詰めたい!もはや大学で体育の授業なんて受けている場合じゃない…!(笑)早くビジネスの世界に行きたくて、生き急いでいましたね。その当時、 姉の勧めでエントリーしたのがエン・ジャパン。選考が進む課程で、自分が求める能力を最速で身につけられる環境は、エン・ジャパンにあるという結論に至りました。その理由は、〝業界№1企業〟ではなかったこと。当時は知名度もなく、私自身も知らなかった企業でした。主要媒体は、『エン転職』。これは当時、転職支援サービスにおいて業界№2の媒体でした。私の性格といえば、根っからの負けず嫌い。№1を目指して努力するほうが競争性を活かせるし、圧倒的に成長できる!少数先鋭の組織なら、より早くから重要なミッションを担える可能性が高いと考えエン・ジャパンへの入社を決めました。

自信満々で入社するも、1年目から大挫折。

入社したのは2009年。リーマンショックの翌年でした。配属先は、『[en]本気のアルバイト』事業部。新拠点として立ち上げ段階にあった名古屋への配属となりました。

社会人生活は、まさかの挫折からのスタートでした。もともとは、学生時代の営業経験に自信を持っていたし、自分は活躍できると確信して、意気揚々と入社してきたタイプです。ところが…。当時はリーマンショックの影響で、企業の採用ニーズが一気に冷え込んだタイミング。しかも、会社や媒体の知名度が低い名古屋の新拠点で、実績のない商品を売ることは、私にとって想定外の困難でした。イキったスーツで華々しくデビューしたわりに、フタを開けてみたらショボ過ぎる自分…。入社前に思い描いていた理想像とは、かけ離れた現実がそこにありました。

1年目は、地獄のような日々でしたね。成果が出ない期間が続いて、上司からもボロクソに言われるわけです。振り返ると、当時の私はプライドばかり高くて、他人のアドバイスを素直に実践する姿勢に欠けていました。そこまで誰かに怒られること自体、人生で初めての経験。当時は人格否定をされているように感じて、音を立てて心が折れていきました(笑)そこに追い打ちをかけるかのように、隣の部署では同期(現在の妻!)が大活躍!社長賞新人賞を獲得して、周囲から称賛されているのです。嫉妬心と屈辱感に、とことん打ちのめされました。本来の想定では、入社3年ほどで圧倒的な成果を出し、新規事業の立ち上げを担うなり、自ら起業するなり、野心に満ちた未来が待っていたはず。それが今や、情けないほどイケてない現状なのです。このままではダメだ…!求める未来を本気で手にしたいなら、自分が変わる必要がある。まずは小さなプライドなんか捨て、自分の「負け」を素直に認めよう。そして、上司に言われたことを、一つひとつ実践してみよう。その日から「YESマン」になると心に決め、言われた通りの行動を重ねた結果、ようやく半年ほどで結果が出てきたのです。あの当時、辛抱強く指導してくださった上司には、今も心から感謝しています。

入社2年目から頭角を現し、当時最年少でディビジョンマネージャーに!

入社2年目のとき、私は『エン転職』を扱う事業部へと異動になりました。すると、びっくりするほど売れたんです(笑)アルバイトの媒体に比べて、商品力に圧倒的な差がありました。私に対する周囲の評価も明らかに変わり、期待の若手として、同期のなかでも早々にチームリーダーを任されるようになりました。こうして入社2~3年目は、順調に〝天狗〟になっていきました(笑)当時の私のマネジメントスタイルは、誰よりも成果を出して、まずは背中で見せる。社内表彰を受けるなど、順風満帆だった当時の私は、自分のやり方は正しい、自分の指示通りにやれば部下は伸びると思っていたのです。

入社4年目を迎えて間もなく、会社として人材紹介事業を立ち上げることが決まりました。私は入社5年目で東京へ異動となり、当時最年少でディビジョンマネージャー(課長職)に抜擢されました。しかし、これが大失敗に終わります。スピード昇進で社内から注目されたわりに、まったく結果を出せないまま、1年弱でマネージャーを解任されてしまったのです。自分の力不足を、痛いほど自覚させられた出来事でした。

スピード昇進から再び挫折。失敗した自分に、会社はもう一度チャンスをくれた。

エン婚活株式会社 代表取締役社長 間宮 亮太さんディビジョンマネージャーを外されたことは、自分を見つめ直す一つの機会になりました。会社の期待に応えられなかったのは、確かに悔しい。とはいえ、そもそも自分は何のために就職したのだろうか?入社以来、いつしか目の前の仕事に夢中になり、社内の評価を勝ち得るために走り続けてきました。それ自体は、やり甲斐もあり、充実した日々だったのです。しかし、私がエン・ジャパンに入社したのは、事業を生み出す能力を身につけるため。改めて、今後のキャリアを真剣に考えました。私の心に浮かんだのは、やはり事業をゼロから生み出したいという想い。直近まで担っていたディビジョンマネージャーの仕事は、いわゆる中間管理職のポジションでした。当然ながら、自分が創った事業でなければ、ビジョンや計画、組織運営に自由度などありません。業務において、事業部長と部下の間で、ジレンマを感じる機会も多々ありました。しかし、今すぐ起業するにしても、肝心の「やりたいこと」が明確にないのです。そんなある日、社長の鈴木と面談する機会がありました。スピード昇進からの解任劇で苦い想いをしていた私を、きっと心配してくれたのでしょう。しかし、そこから事態は急展開。ゼロから事業を創りたいと伝えた私に、「やったらいいじゃないか」と、社内起業のチャンスをくれたのです。2015年、新規事業開発室へ異動。新たなチャレンジの幕開けでした。

自身の原体験から生まれたビジョンを、事業を通じて実現したい。

自分はどんな生き方を求めているのか?何を探求したいのだろう…?新規事業を創るにあたり、人生の原点に立ち返る作業を行っていきました。なぜなら、自分の原体験をもとに描いたビジョンを、事業を通じて実現したいと考えたからです。最終的に辿り着いたのは、小学4年生のときに起きた家庭の問題。ある日を境に両親の不仲が続き、子どもながらに解決を試みたり、真剣に悩んだりを繰り返してきました。時を経て夫婦間の問題は、母親の精神さえ蝕んでいったのです。夫婦や家族の問題は、人生に大きな影響をもたらすことを、身をもって体験しました。私は自身の原体験から、そこに強烈な課題意識を持っていたのです。その領域で事業化できることを模索していたとき、弊社の創業会長の越智が、婚活領域の事業化に関心を持っていたことが繋がり、点と点が線に変わったのです。私自身は当初、夫婦・家族関係に関する事業化のヒントを探して、ユーザーインタビューを行っていました。その過程で、結婚後の幸せが続くかどうかは、結婚前のマッチングが重要であることが明らかになって来たのです。幸せが続く結婚をすべての人に…。これは、私自身の原体験をもとに生まれた弊社のビジョンです。その実現のための入口であり、最も重要な〝結婚前のマッチング〟を支援したい。そして、自分のように葛藤を味わう人や子どもをなくしたい。もっと簡単に、夫婦、そして家族が幸せになれる世界を創りたい…!このような想いで、婚活事業を立ち上げることになったのです。

結婚相談所にイノベーションを!業界の負を解決する、革新的なサービスの誕生。

事業開発において私が重視していたのは、業界の〝負〟の部分を解消していくという観点でした。婚活に、イノベーションを起こしたいと考えたのです。マーケット分析を通じて解ったのは、婚活市場にもオンラインのマッチングサービスが台頭してきたなか、「結婚相談所」という業界は、未だに旧態依然としていること。特に、来店型の結婚相談所には、「恥ずかしい」「怪しい」「料金が高い」という、ユーザー視点での負のイメージが蔓延していました。これはまさに、イノベーションの余白に満ちたマーケット。古くてダサい領域、来店型の結婚相談所が抱える現状の課題は、テクノロジーの力でアップデートできる。私としては、将来の事業展開を踏まえて、最初の勝負から絶対に勝たなければならないと思っていました。その観点から、店舗型の結婚相談所のマーケットに切り込んでいくことは、最も勝負しやすい領域だと踏んだのです。私が連想したのは、生命保険や予備校の業界に起きたイノベーションのケーススタディでした。 それらは必ず、結婚相談所のマーケットにも応用できるはず。このようなプロセスを経て、圧倒的低価格で1年以内の成婚を実現する、来店不要のオンライン結婚相談所のビジネスモデルが出来上がったのです。

2016年7月、サービスをリリース。約2年間、悪戦苦闘の日々が続く。

エン婚活株式会社 代表取締役社長 間宮 亮太さん初年度は、鳴かず飛ばずのスタートでした。会員の獲得に、想定以上に苦戦したのです。資金 は、たった1年で底が見え、毎月厳しい状況が続きました。事業が伸びないと、社内の空気も悪化してきます。私自身が未熟だったこともあり、成果が出ない現状を受け入れられず、常にピリピリしていました。そうなると、組織もうまく行かないのです。ようやく明るい兆しが見えたのが、1年半を迎えた頃。ユーザーが、どこで弊社のサービスを知り、どれだけの期間を経て入会まで至るのか。入会後、どのように活動を始めるのか。その行動特性やプロセスが、言語化できるレベルまで掴めてきたのです。そこに対して戦略的な施策を打てるようになり、事業が軌道に乗り始めました。会員様が増えた要因の一つは、ご入会から3ヶ月以内にコンタクトが成立しない場合、登録料・月会費をすべてお返しする「全額返金保証」の仕組みを取り入れたこと。試行錯誤を重ねた結果、会員登録を検討するユーザーの心理的なハードルが、課題として見えてきたのです。成果が出ないときには、どれだけ社長の私が未来を語っても、まったく説得力がありませんでした。事業が黒字転換したことで、戦略やビジョンを堂々と語れるようになり、一つの目的に向かう一体感のある組織へと変わりました。優秀なメンバーも集まり、、さらなるチャレンジへの体制が整ったところです。

結婚後も続く幸せをすべての人に。ビジョン実現に向けた、間宮社長の飽くなき挑戦。

我々が目指すのは、婚活のマーケットで№1のサービスを創ること。しかも、「出会いから成婚」だけでなく、「結婚後の幸せ」へと導くための高品質なサービスこそが、弊社が提供したい価値です。掲げたビジョンを実現するには、男女の出逢いから結婚後の幸せをトータルで支援する仕組みが必要となります。それに向けた最初のステップとして、弊社は今年10月に、『famion(ふぁみおん)』という新サービスをリリースしました。サービス名の由来は、「family(家族)」+「union(団結)」の造語。結婚後の夫婦、または結婚を考えているカップルが、より絆を強くするためのファミリーエンゲージメントプラットフォームです。『famion)』をインストールしたカップルは、お互いの価値観や考え方を可視化し、すり合わせ、2人だけの約束やビジョンの設定ができます。今後はこのサービスも、世界に通用するようなプロダクトへと進化発展させていきたいと考えています。まだまだチャレンジは始まったばかりです。


◆ 編集後記 ◆

今回は筆者にとって、特別なインタビューとなった。なぜなら私も、かつて2009年年にエン・ジャパンに新卒入社した「間宮くん」の同期だからだ。当時の私は東京配属(2年後に退職)、間宮くんは名古屋配属。一緒に仕事をする機会はなかったが、同期のなかでも見た目が派手だった印象が記憶に残っている(笑)今回は、およそ10年ぶりの再会。今や会社を担う代表者となり、家族も持った間宮社長は、新卒当時のイメージとは大きく変わり、ドシっとした迫力を感じさせてくれた。時を経て、彼とこのような再会が果たせるとは夢にも思わなかったので、実に感慨深い取材となった。

さて、大きなビジョンを語り、飽くなき挑戦を続ける間宮社長。その凄まじい原動力は、いったいどこにあるのか。聞けば、「想いは実現できる」ということを、自身の人生を通じて証明したいのだと言う。想いがあるからこそ、素晴らしい仲間に恵まれ、一人ではできないことも実現できる。想いがあるからこそ、目の前の仕事に〝こだわり〟を持ち、社会に貢献することで人生が充実する。すべては「想い」から始まるのだ。しかしながら、若い頃には熱い想いや志を語っていた人も、年齢を重ねるごとに減少していくのが一般的だ。私自身も昔の仲間に再会したとき、相手の変化に寂しさを覚えるときは確かにある。間宮社長は、そのような状況に課題意識を持ち、まずは自身が「想いの実現」を体現することで、社会を変革したいと考えているようだ。誰もが想いや志を自由に語り、生き生きと人生を歩んでいける社会へ…。その道しるべを示すため、彼のチャレンジは続いていく。

幸せが続く結婚をすべての人に…。核家族化、共働き化、晩婚化など、夫婦や家族の在り方が多様化するなか、持続できる幸せを誰もが模索しているのが現代である。だからこそ同社の事業は、社会的意義があると強く感じた。間宮社長ご自身も、今では5歳と1 歳の子どもを持ち、幸せが続く家庭を志す一人の父親だ。これからいったい、どんな世界を魅せてくれるのか。自慢の同期が大活躍する未来が、今からとても楽しみである。

取材:四分一 武 / 文:アラミホ

メールマガジン配信日: 2020年1月14日