大阪を中心に、京阪神エリアで収益不動産を活用した資産運用コンサルティングを手がける大和財託。同社は2013年の設立と業界では後発ながら、設立4年目にして売上20億円を達成し、毎年増収増益を続ける注目企業だ。2019年5月には、東京・赤坂にコンサルティングオフィスを開設。昨今急増していた関東圏の問合せにも、満を持して応える体制が整った。望む未来を着々と手繰り寄せていく藤原社長だが、どのような出来事や経験が、現在の彼を形づくってきたのだろうか。さらなる飛躍が期待される今、藤原氏の生い立ちから経営哲学、未来の展望にわたるまで、貴重なインタビューの機会をいただくことができた。

プラットフォーム型の事業モデルで、お客様の資産運用を徹底サポート。

大和財託株式会社 代表取締役 藤原 正明さん弊社は収益不動産を活用した、資産運用コンサルティングを提供している会社です。特徴は、1棟アパート・マンションの開発から建築・販売、賃貸管理まで、ワンストップで提供できること。取扱っている物件も、新築・中古を問いません。資産運用に関するお悩みというのは本来、人によって多種多様です。弊社は創業時より、お客様一人ひとりのニーズに応じたご提案ができるよう、商品開発やサービスの拡充に尽力してきました。たとえば仮に、自社で提供できるソリューションが新築アパートの建築に限られている場合、お客様の多様なニーズを前にしても、最終的には「アパートを新築しましょう」という提案しかできません。たとえそれが、お客様にとってベストな選択ではなかったとしても…。実に矛盾した話ですが、このようなケースは決して珍しくないのです。本来であれば、現状の課題や投資の目的、そのために有効な手段というのは、お客様の立場や状況によって異なるはずです。たとえば、地主様への「土地活用」の提案と一口に言っても、所有する土地の不動産価値によって、とるべき手段は大きく変わるわけです。弊社なら、お客様一人ひとりの目的実現に向け、あらゆる商品やサービスを組み合わせたベストな提案が可能です。我々に「お金」のお悩みをご相談いただければ、「不動産」というツールを活かして、すべて解決できるというスタンスです。このように、あらゆる課題に対応できるプラットフォーム体制を整えたことで、経営者、医師、地主、会社員など、幅広い顧客層からご支持を頂けるようになりました。これまで京阪神エリアに根付いて事業を展開してきましたが、ついに今年、東京・赤坂にコンサルティングオフィスを開設。急増していた関東エリアのお問合せにも、ようやくお応えできる体制が整いました。現在は関西圏の物件が中心ですが、早期に関東圏の物件も開発していきます。

少年時代は空手一色!高校の大会では、不戦敗で全国2位?!

岩手県出身です。盛岡の隣町、矢巾町(やはばちょう)と呼ばれる、人口2万7,000人の郡部で育ちました。父が無類の空手好きで、私が幼稚園児の頃には、家でミット打ちをさせられていた記憶があります(笑)道場に通い始めたのは、小学2年生のとき。伝統派空手の道場に、父と兄と3人で通い、毎日バッチバチに闘っていました。いま思えば、亀田3兄弟みたいな家族でしたね(笑)内装工事業を営む父(66歳の今も現役!)は、身長165センチと小柄ながら、ガタイが良くて、いかにもオラオラ系の社長。空手は強いし、怒ると平気で鉄槌が飛んでくるような、こわ~い親父でしたね。

少年時代は、ほとんど空手一色でした。同級生が朝から晩まで外遊びに夢中のなか、私は夕方5時には道場へ行き、毎日2時間の稽古に励んでいました。中学からは親子3人で極真空手へと道場替えをし、さらにガチガチの稽古に没頭。学校では陸上部に入りましたが、すべては空手に活かすためのスタミナづくり。「とにかく強くないとダメ!」という父の価値観のもと、私はメキメキ強くなっていきました。高校時代には、極真の大会で全国2位を獲っています。しかも、〝不戦敗〟の2位!なぜなら私が、決勝進出を辞退したからです。大会当日、プログラムの進捗が大幅に遅れており、決勝戦に進出するには、期末テストを欠席する必要がありました。もちろん試合には勝ちたい。一方で、学年1位の成績もキープしたい…。根っからの負けず嫌いだった私は、結果的に「不戦敗で2位」という選択をし、期末テストに臨んだのでした(笑)

家庭内で事件勃発!父の一声で閉ざされた、格闘家への道。

大和財託株式会社 代表取締役 藤原 正明さん幼少期から空手三昧の生活で強かったこともあり、将来はプロになるつもりでいました。当時はちょうど、K-1が流行り始めた頃。ファイトマネーで食べていくことを考え、K-1や総合格闘技の世界を目指していましたね。

ところが…。高校3年生のとき、まさかの空手を辞めることになります。きっかけは、親父と兄の大ゲンカでした。空手家同士のケンカは凄まじく、家の壁には数々の穴が…(笑)そのとき、「子どもがこんな顛末になるなら、空手なんて辞めだ!」という父の一声で、家族そろって空手を辞めてしまったのです。その日を境に、私の人生設計は一転します。卒業後は東京の道場へと考えていたのに、急遽の大学進学を目指すことになったのです。そのまま格闘家の道に進んでいたら、今頃どんな人生を送っていたでしょうか。もはや想像もつきませんね。

空手はすっかり辞めましたが、あの頃ストイックに鍛え上げた経験は、現在の会社経営にも役立っていると思います。たとえば、どんなに飲んだ翌朝も、定刻通りに出社する。週に3~4回の筋トレを、サボらず継続する。小さなことではありますが、自ら決めたことをルーティン化し、徹底的にやり抜く力は、空手を通じて身についた、私の強みだと思っています。

急遽の大学進学は、男だらけの超理系学科へ。

大学受験も無事にクリアし、地元の国立大学の工学部機械工学科に進みました。機械工学を専攻した理由は、数学と物理が得意だったこと。また、クルマが好きで、機械に関わりたかったこと。ガチの理系学科なので、100人中2人しか女子がいないような環境です。その時点で、いわゆるイケイケのキャンパスライフとは縁がないも同然(笑)時給900円のバイトをしたり、アメフト部の仲間と筋トレに励んだり…。振り返ると、至って地味な学生生活でしたね。

大学2年生あたりから、将来のことを考え始めます。会社員の家庭で育っていない私には、企業に長く勤め、出世していく未来というのは、あまり想像できませんでした。とはいえ、今すぐ起業するほど具体的なビジネスプランもありません。ただ当時から、「男として大きなことがしたい!」という野心だけはありました。「いつかは社長になりたい」と、漠然と考えてもいました。

結果的には大学の推薦で、卒業後はメーカーに就職しました。水道や配管、プラントなどで、圧力や水量の調整に使われる「流体制御弁」という社会インフラ商品をつくるメーカーです。非常にニッチな領域で、国内シェアNo.1の企業でした。新卒から6年間、広島と大阪を拠点に、セールスエンジニアとして働いていました。

不動産投資の魅力に触れた、最初のきっかけ。

私の人生の転機には、いつも父が登場しています。28歳だった当時、私は会社の出世頭として、役員陣からも非常に可愛がって頂いていました。安定企業で居心地も良かったのですが、30歳を目前にしたとき、このままで本当に良いのだろうかと迷ってもいたのです。

そんな折、ふと帰省した際の父との会話が、人生のターニングポイントになりました。父は当時、内装工事業を営む傍ら、不動産投資による副収入も得ていました。いつかは経済的自由を手にしたいと思っていた私には、非常に魅力的な収入源に思えました。実家に転がっている専門書をめくったり、父の話を聞いたりしているうちに、気づけば不動産投資に強く惹かれる自分がいました。

大手不動産ディベロッパーへ転身。自ら不動産投資を始める。

大和財託株式会社 代表取締役 藤原 正明さん結論、私は三井不動産レジデンシャルに入社することになります。まずは不動産業界での経験をと考えたとき、財閥系ディベロッパーへの転職が真っ先に浮かびました。業界構造を考えると、最も大きな仕事ができる環境だと思ったのです。実際に、オフィスビルやタワーなど、大規模不動産の現場はすべて、ディベロッパーの発注で動いているのを、前職の営業時代に見ていました。建築の知識がなくても、100億クラスのプロジェクトに携われること。若くして高年収が得られること。この2点が、転職の決め手になりましたね。

恥ずかしい話なのですが、私は当時、三井不動産レジデンシャルの社長になるつもりで入社しました。相当な世間知らずだったのです。しかし、入社2ヵ月ほどで現実を知ります。大企業の社長になるには、決まったルートがあること。出身大学で出世ルートの大枠が決まっていること。このような大人の事情を思い知った結果、野望は早々に打ち砕かれました(笑)

わずか2年半の在籍でしたが、非常にエキサイティングな仕事を経験させて頂きました。配属先は、関西エリアの新築分譲マンションの開発・販売を手がける部署。稟議書の通し方からプロモーション戦略の立案まで、このとき学んだ億単位のプロジェクトの動かし方は、今でも大いに役立っています。とにかくハードワークではありましたが…。当時は深夜0時から上司にプレゼンなんて日常茶飯事。さらに、翌朝4時まで近くの中華屋で飲んで、午前10時には現場へ出勤!いま考えると、とんでもない生活をしていましたね(笑)

自ら不動産投資を始めたのは、ちょうどこの頃でした。年収が上がってローンが組めるようになったので、お金を貯めてアパート4棟を購入しました。ハードワークの合間をぬって物件見学に行き、1棟ずつ買い足していきました。

収益不動産領域での起業を決意。ベンチャーに転職し、独立準備へ。

自分で不動産を買うようになって、新たな発見がありました。それは、アパート・マンション投資の事業領域は、ブルーオーシャンであること。当時はまだ、不動産投資を検討するお客様に、コンサルティングまで提供する企業は存在しませんでした。多くの業者が物件を売りたいばかりに、ひたすら利回りの良さを主張するだけ。購入から運用、売却までを考慮した、長期視点のポートフォリオを顧客に提示できる会社は皆無に等しい状態でした。また、物件購入時にも、融資先から賃貸管理の委託先まで、購入者が自力で探す必要がありました。これでは一般の人は、とても不動産など買えません。お客様視点に立って、業界の弱点が明確に見えた私には、収益不動産領域での独立に勝算がありました。現状のレベルが総じて低い業界だからこそ、顧客本位のコンサルティングを徹底できれば、必ず勝てると思ったのです。(実際に私が起業して5~6年の間に、顧客との情報格差を利用して儲けていた業者は次々に消えていきました。)少子高齢化に伴う年金制度の崩壊、税金の高騰をはじめ、経済不安の高まりが予想される今後、不動産投資への需要が拡大することは明らかでした。そんな折、とある不動産ベンチャーの社長ブログに遭遇します。独立志望者に、2年間の修行の場を与えてくれるという求人募集でした。運命的なものを感じた私は、すぐさま埼玉に引越し、その会社で独立準備をすることにしたのです。

2013年、大和財託を設立。初年度から売上7億円達成へ。

大和財託株式会社 代表取締役 藤原 正明さんお世話になった不動産ベンチャーでは、主に賃貸管理業務を中心に実務経験を積ませて頂きました。2年の修行を終えた2013年、大和財託を設立します。事業の拠点は、私自身が長らく仕事をしてきた関西エリアと決めていました。

創業まもなく、事業は軌道に乗りました。設立初年度から売上7億円、4年目には20億円を達成。起業当初に金融機関へ提出した事業計画より、大きく上振れる成果となりました。順調なスタートを切れた要因の一つに、集客に苦労しなかったことがあります。実は、起業前からブログを毎日更新しており、多くの読者を抱えていたのです。不動産投資に関する情報発信はもちろん、組織論や経営哲学など、内容の濃いブログを心がけてきました。ブログを開設して6年が経った今も、週に1度は必ず更新しています。多くの方々にご覧いただいており、書籍とブログからの継続的な集客を実現しています。

また、事業を絶えず模索してきたことも、弊社が増収増益を続けている要因だと思います。あくまで「資産運用」という軸は変えずに、お客様のニーズにお応えできる事業であれば、臆せず追加してきました。新築、中古、土地活用、賃貸管理にわたるまで、すべて自前で提供できることは、他社との大きな差別化ポイントになります。現在も水面下で、さまざまな事業を走らせているところ。まだまだシード状態ではありますが、一つひとつを着実に育てることで、我々がお客様に提供できるソリューションは、ますます拡がっていくのです。「お金まわりの相談は大和財託へ。不動産というツールを活用して、すべて叶えてくれる存在」…そんな世界観を、早くお届けしたいですね。

目指すは収益不動産領域において、日本一。

近い将来の東証マザーズ上場に向け、着々と準備を進めているところです。あえて上場を目指すのは、事業拡大の意志があるから。現状維持を求めるなら、上場する必要はありません。弊社が目指すゴールは、収益不動産領域において、日本一の企業になること。これを、20年以内に達成します。現在のNo.1企業は、売上高1兆4千億円規模なので、それを超えるのが当面の目標です。ビジョン実現に向けた第一歩として、今年5月に東京・赤坂にオフィスを開設。1年以内に、関東圏の物件も自社で開発できる状態を確立します。おかげさまで、弊社には現在、多くの優秀な人財が集まってくれています。今こそ東京・大阪の2大拠点をベースとした事業拡大に、本格注力していきます。


◆ 編集後記 ◆

取材にお伺いする前に、大和財託のWEBサイトを訪問してみた。トップページには、「大和財託 7つの特徴と3つのお約束」という大きな文字。そこには、自社のポリシーと経営哲学が明記されており、資産運用サービスを提供する会社としての、並々ならぬプロフェッショナリズムが感じられた。

さて、創業者の藤原社長。趣味は「筋トレ」だと明言される通り、筋骨隆々とした体形は、スーツを着ていても明らかだ。なんと、朝の5時に起床して、週3~4回は筋トレを続けているそうだ。「夜は会食が入る日もあり、筋トレの時間が確保できません。しばらくサボるとソワソワしてくるんです。やっぱりトレーニングは必須!だから、朝の時間を充てているのです」…筋トレ話になると、面白いほど熱が入る。それもそのはず。聞けば、パーツごとの効果的なトレーニングなど、自分の身体で検証実験を重ね、ベストなトレーニングメニューを開発しているほどの徹底ぶりだ。「経営と同様、筋トレも試行錯誤の繰り返し」…そう語る彼の言葉には真実味がある。もちろん、会社としても筋トレを推奨している。福利厚生としてゴールドジムと法人契約を結んでおり、社員の方々もジムに通えるのだとか。社長の影響で、デスクにプロテインを常備する社員も多く、シェイカーを振る音がフロアに響き渡るのだから、かなりユニークな職場風景だ(笑)肉体を鍛えることは、確かに良い仕事に繋がりそうだ。我々も気づけば便乗して、効果的なトレーニング方法を、社長直々にご指導いただいた。

創業当初は社長1人で始めた同社だが、今や従業員55名へと組織も拡大している。不動産投資系の会社の場合、離職率が高いのが一般的であるが、創業初期の社員も残っているくらい離職が少ないそうだ。ベンチャーとして大海の荒波に船出するにあたり、キャプテンである藤原社長が誰より率先して有言実行を続けているからこそ、クルーの皆さんも信頼して船に乗り続けているのだろう。ド派手な急成長より、毎期の着実な増収増益。ブログも筋トレも、経営も同様、何事もコツコツと継続すること。現在、不動産業界では多くの不祥事が取り沙汰されているが、同社にはまったく影響がないようだ。結局のところ、本物だけが残る。そんな言葉が思い浮かんだ取材となった。「顧客本位」というビジネスのあるべき姿を本気で追求する同社が、ぜひとも業界全体をアップデートしてくれる未来を心から期待したい。

取材:四分一 武 / 文:アラミホ

メールマガジン配信日: 2019年7月8日