飲食店などのローカルビジネス(美容室、エステ、クリニックをはじめとした店舗ビジネスの総称)のコンサルティング、WEBマーケティングを事業とする株式会社CS-Cは、世界最大級の意識調査機関Great Place to Workが実施する、日本における「働きがいのある会社」において、3年連続でベストカンパニーを受賞(2016、2017、2018年度)。さらに、ベンチャー通信編集部による、これからの成長が期待される企業100社が選出される「ベストベンチャー100」においても、2年連続の受賞(2017、2018年度)という素晴らしい評価を獲得している。事業の目ざましい成長はもちろん、魅力的な組織づくりという観点からも、いま注目のベンチャー企業だ。今回は、同社代表の椙原氏に、彼自身の生い立ちから、現在の人格形成に至った経緯にわたるまで、深く迫ることができた。

1万店舗の顧客データから導き出す、科学的なWEBマーケティングが強み

弊社は飲食店様をメイン顧客に、ローカルビジネス(美容室、エステ、クリニックをはじめとした店舗ビジネスの総称)に特化したWEBマーケティング事業を展開してまいりました。独自のコンサルティングサービス『C+(シープラス)』は、弊社の担当コンサルタントが、いわばクライアントの社外CMO(Chief Marketing Officer=最高マーケティング責任者)として、WEBに関わる業務をまるっと代行するビジネスです。飲食店でいうと、従来の『ぐるなび』『食べログ』に加え、昨今では『Instagram』や『NAVER』など、店舗を検索するときのユーザーの動線が多様化しています。店舗側にとって、このカオスな状況に応じた販促戦略を立てるのは非常に困難であり、また戦略を実行する時間もないのが現実です。そこで、弊社の担当コンサルタントが、クライアントの課題抽出・戦略立案を担い、さらに、実際の運用から検証まで、すべてのプロセスを代行します。現在、1万店舗の飲食店顧客の年間マーケティング予算(約180億円)を弊社がお預かりし、WEBマーケティングのほぼすべてをお任せいただいています。我々の強みは、1万店舗分のデータから導き出す、的確なマーケティングが実現できること。社内には、アルゴリズム解析を専門とするプロフェッショナルチームが常駐しており、地域特性やターゲット特性、トレンドなど、あらゆるデータをもとにしたジャッジが可能なため、コンサルタントが自信を持って、クライアントの収益改善に直結する的確な施策が提案できるのです。

『C+』で培った1万店舗分のコンサルティング実績から得られたグルメ業界のデータ・ノウハウを定量化・アルゴリズム化し、AI機能を搭載したのが、弊社のマーケティングプラットフォーム『C-mo(シーモ)』です。こちらのサービスは、個人経営の飲食店様を対象としており、〝WEBマーケティングはすべて『C-mo』に丸投げ!〟・・・というコンセプトになっています。いわば、最高の頭脳を持ったコンサルタント(経営参謀)が、バーチャル上に存在しているイメージでしょうか。販促効果はもちろん、飲食店にとって面倒な作業のひとつである、メディアごとのメニュー編集や予約管理の一元化を実現するなど、マーケティングに要する店舗側のあらゆる手間を自動化し、多くの喜びの声をいただいています。『C-mo』の開発により、飲食業界における一般的なコンサルティングフィーの約5分の1という安価なサービスが提供できるようになり、これまでコンサルタントを利用できなかった個人商店様にも、やっとお役に立てるようになりました。おかげさまで現在のご利用実績は、2000店舗に達しています。

株式会社CS-C 代表取締役 椙原 健さん高校卒業まで、読んだ本は1冊だけ!勉強は大嫌いでした。

私は福島県南相馬市の、静かな田舎町で生まれました。父は原発関連の部品メーカーで働く会社員、母は実家が営む青果店を手伝っていました。少年時代は、いたって普通の子どもだったと思いますよ。足は速かったので、小・中学校とサッカー部にいたのですが、陸上の大会には常に駆り出されていましたね。だいたい優勝していたので、当時は複数の高校から陸上で推薦も来ていたほど・・・。一方で、勉強は大嫌いでした。今でこそ週に2~3冊のペースで読書をしますが、小・中・高を通じて読んだ本といえば、課題図書の一冊だけ。確か、おばけの本か何かだったと記憶しています(笑)中学時代には、サッカー以外の時間は遊んでばかりいたので、ギリギリまで行ける高校がない状態でした。遊ぶといっても田舎だし、特に何をするわけでもないんですが、友達の家に集まってゲームをしたりマンガを読んだり、楽しく過ごしていましたね。勉強を始めたのは、高校受験がようやく半年前に迫ってから。必死になって勉強したら、なんとか地元の進学校に受かったんです。高校では自由に遊びたかったので部活はせず、コンビニや結婚式場で週4~5日のバイトに明け暮れていました。でも、熱中するものが何もない生活が、なんだか退屈になってきて・・・。結局は高2の夏にバイトを辞めてサッカー部に入り、そのまま最後のインターハイ予選まで、サッカー漬けの生活に戻っていました。

祖父の存在と、漠然と描いていた夢。

高校教師として働き、のちに校長も務めていた私の祖父は、台湾が日本の占領下にあった戦時中、現地で台湾人の子どもたちを教えていたそうです。祖父の死後、台湾の教え子さんたちが、わざわざ現地から福島まで線香をあげに来ていた光景をよく覚えています。祖父は当時、台湾の子どもたちにも日本人と分け隔てなく接していたそうで、現地の人々から非常に感謝、尊敬されていました。祖父のそのような生き方については、親からもよく聞かされていたし、私自身も誇りに思っていました。自分もいつか、人様の役に立つ生き方がしたい・・・。地元の英雄に、野口英世がいたからでしょうか。漠然とではありますが、小学生の頃から「医者になりたい」と思うようになっていました。人の命を救う貴い職業への憧れもあったと思います。だけど、受験勉強というのが、どうも苦手で・・・(笑)。試験って、必ず「解答」があるじゃないですか。昔から、答えは自分でつくりたいタイプだったので、受験勉強の型にはまった感じがイヤだったんですよね。今では歴史の本も読みますし、インプット欲はあるはずなんですが、〝教科書の歴史〟になった瞬間に興味が失せてしまう。そんな感じだったので、ひとまず大学へ行こうと思い立ったときには既にギリギリのスケジュールで、成人式も欠席、模擬試験も一切受けずに、ぶっつけ本番の受験でした(笑)。高校受験のときには、半年だけ必死に勉強したら志望校に受かったこともあり、ちょっと甘く考えていましたね。最終的に第一志望校には受からず、たまたま合格した大学に行くことに…。医者になりたいという夢も、受験勉強の過程のなかで、そもそも自分に向いているのは、「医学部に入学」という形式ではないことは察していました。時が経った今、将来的に何らかの形で、医療を支えていけたらいいなと考えています。

株式会社CS-C 代表取締役 椙原 健さん大学4年間は、バーテンダーのアルバイトに没頭。

高校を卒業してからの進学が2年遅れたこともあって、大学4年間の生活費は自分で稼ぐつもりでいました。それで、授業に出ながら働ける夜のバイトを探した結果、バーテンダーの仕事に辿り着いたのです。何となくの憧れから始めたバイトでしたが、次第に授業よりも仕事のほうが面白くなってしまって、気づいたときにはバイト中心の生活に・・・。その当時、池袋と歌舞伎町にあった店舗へ週5~6日で出勤していたので、完全に昼夜逆転の生活でした。バーテンダーって、キリっとした服装でシェイカーを振っている姿が印象的で、一見すると華やかなイメージがありますが、いざやってみると非常に地味な仕事なんです。お客様は、それぞれの目的でバーという空間に訪れますよね。バーテンダーに求められるのは、何より各席のお客様の世界観を壊さないよう振る舞うこと。主役であるお客様にとっての最適な環境づくりのために、黒子の役割に徹するのです。その奥深さにすっかりハマった私は当時、その道で食べていこうとさえ考えていました。しかし、4年生になって将来を真剣に考えたとき、昼夜逆転が前提の働き方や、バーテンダーとしての自分の将来性について、冷静に考え直したんです。実は当時の彼女から、「昼間の仕事をして欲しい」と云われたのもありますが・・・(笑)。結果、必死になって就活を始めたのは、既にゴールデンウィークが明けた頃。あのときバーテンダーの道に進んでいたら、今頃どうしていたでしょう。私が当時いた店はもうありませんが、一緒に働いていた先輩が独立して店を出しているので、今でもたまに顔を出していますよ。

証券会社でトップ営業になるも、1年半で退社。

後に世界同時多発テロ事件[9.11]が起こることになった激動の2001年春、私は某証券会社に新卒で入社しました。会社選びの基準は、何らかの形で〝経営〟に関わる仕事ができること。だから、数ある証券会社のなかでも、個人投資家を対象とする業務ではなく、投資銀行部門で法人に関わる仕事ができる会社を探していたんです。入社したのは当時のナスダック上場企業。ちょうど投資銀行部門を立ち上げるタイミングだと聞き、チャンスを感じて入社を決めました。しかし入社後になって、投資銀行部門はやらないという経営判断になってしまって・・・(笑)。とはいえ、そこで辞めるわけにもいかないので、配属されたリテール営業部門の仕事に精いっぱい取り組みました。結果、同期50名のなかで、営業成績1位を獲得。秋には支店でも1位を獲ることができました。当時は新卒で月給7080万円ほどもらっていたし、社内で一番のスピード出世を進んでいたので、居心地は悪くなかったと思います。だけど結局、1年半で辞めました。理由は、当時の金融業界の風土として、クライアントの利益より、自社の利益を優先する傾向が強かったこと。たとえばお客様が、株や外貨を買うとします。証券営業というのは手数料商売ですから、売買するところまでは誰もが関心ごとなんです。一方で、その先でお客様が実際に利益を得たのかどうかは、ほとんどの人が無関心で。そういう風土が、なんかイヤだったんですよね。当時の私には、社内の上を見れば見るほど、そういう人たちばかりに見えて・・・。ここは自分が長期にわたって働くステージとしては違うな。ただでさえ社会人デビューが2年遅れているのだし、判断は早いほうがいい。そう思って、環境を変えることにしました。

株式会社CS-C 代表取締役 椙原 健さん30歳で自分の使命を確信し、起業を志す。

転職したのは、とある上場コンサルティングファームでした。この会社で9年間、マーケティングをゼロから学び、現在に繋がる外食業界とのご縁や大切な仲間に出逢い、多くの貴重な経験をさせていただいたと思います。業務は主に、上場外食企業のチェーンマネジメント、店舗の収益改善のコンサルティングでした。とにかく目の前の仕事に熱中して、充実した20代を過ごせましたが、本当の意味での「やりたいこと」は、当時まだ見つけられずにいました。30歳を迎える頃、そろそろ人生をかけて取り組むべき使命があるのではと、改めて自分の人生の棚卸しを試みたんです。30年間の人生で感じた喜怒哀楽、死ぬまでにやりたいことなどを箇条書きにした結果、自分の価値観や輪郭が、徐々に見えてきました。なかでも、私が最も感情が揺れる瞬間は、自分の行いで人が喜んでいるシーンを見たときだということが明確にわかったのが、何よりの発見でした。そして、後に弊社の基本理念となる「公益資本主義」という在り方も、私にとって譲れない価値観だったのです。世の中の不均衡(たとえば教育が受けられない、飢え、虐待で苦しんでいる地域や人など)を是正するために生きることこそが、自分の人生の意味だと感じたのです。おそらく、祖父や母親に共通していた生き方が、私自身の人格形成に大きく関わっていたのだと思います。当初は政治家になって、その志を実現しようとも考えましたが、経済活動という形でも、同じゴールに辿り着けることに気がつきました。とはいえ、そんなミッションを掲げている会社など、どこにもありません。ならば、自分で創ろうと思ったのが、起業を志す動機となりました。

人生のターニングポイントとなった東日本大震災。

2011311日。東日本大震災が、私の故郷を襲いました。南相馬市にある実家は市街地だったので津波の被害こそなかったのですが、原発から25キロ圏内の避難区域だったため、家族は翌日から行く場所を失いました。この期間に、私は母を亡くしています。持病があったので震災が直接の原因とは言いきれませんが、突然の避難生活のなかで治療が遅れたことも、少なからず影響したと思います。震災が自分に残したものは、たまらない無力感と絶望感でした。東京にいる自分は何もできなかった・・・。人生で初めて、まわりを守れる強さと優しさを持ちたいと、心の底から思った瞬間でした。この出来事が大きな転機となり、自分の使命がさらに明確になりました。社名の「CS-C」と、「公益資本主義」という基本理念は、震災が起きた2日後の夜に決めたものです。「CS」の意味は、「カミング・ステージ」そして「クリエイト・スマイル」。あとに続く「-C」は、5つの単語の頭文字「CLIENT(クライアント)」「CONSUMER(消費者)「COUNTRYCOMMUNITYCHILDREN(国・地域・子供)」を指しています。関わる「C」に次のステージを提供し、笑顔を創造していくような存在でありたい。このときから、「自分の人生=CS-C」というコンセプトも定まったのです。そして同年10月に、会社を設立。本業で出した利益の一部を、寄付やボランティアなどの社会貢献活動に配分することが、私が考える公益資本主義のひとつの在り方です。そのような経済活動を、ぜひ世の中に浸透させていきたい。まずはその企業経営モデルになることが、弊社のミッションだと考えています。

株式会社CS-C 代表取締役 椙原 健さん創業8期目を迎える CS-Cが描く、今後のビジョン

次世代のリーダーにバトンを繋ぐためにも、私が55歳までに売上1000億円、時価総額1兆円の企業に成長することを目指しています。ビジョンとしては、大きく2つ。1つ目は、弊社が誇るマーケティング、テクノロジー、コンサルティングスキルを武器に、飲食業界を中心としたローカルビジネスのマーケティングプラットフォームになることです。社内の合言葉は、「水道、ガス、電気、CS-C!」ローカルビジネスを事業とするお客様にとって、ライフラインと同様になくてはならない存在となり、私たちと共に歩んでくれた店舗が元気になることで、消費者に日々の楽しみを提供し、街・地域、国が活気に満ちた景色を、皆で見たいと思っています。

2つ目は、「公益資本主義」という企業経営のスタイル(ビジネスと社会貢献が両立する世界)を、世の中に浸透させること。その仕掛けのひとつに、現在開発中の弊社のチャリティーサイトがあります。これは、消費者がサイト内の飲食店から予約をすると、会計金額の3%分が社会貢献に寄付されるという仕組みです。消費者は自分の3%分の原資を使って、復興支援とか、海外に学校をつくるためのプロジェクとか、難民支援とか・・・寄付する対象を自由に選ぶことができます。もちろん、自分が寄付したプロジェクトの進捗は、マイページで確認できるようにする予定です。消費者にとっては、日ごろの消費活動のついでに、「ながら寄付」ができる仕組み。そして、店舗側の掲載料は完全無料とし、予約が入った際の会計の3%分だけ、寄付資金として出していただきます。その3%は全額寄付にまわし、弊社はサイト運営費などはいただきません。運営費はむしろ、我々が捻出するのです。弊社は創業当初から、毎年利益の3%を社会貢献活動に使ってきました。今後はそれを、サイト運営費に充てるつもりです。日本はボランティア後進国なので、このサイトを使って実際に寄付を行なう消費者は、100人中3人程度かもしれません。それでも弊社が機会を提供することで、少しでも温かいムーブメントが拡がっていけばいいなと思っています。


◆ 編集後記 ◆

大手コンサルティングファーム出身、従業員100名超を率いる、いま最も勢いのあるベンチャー経営者のひとりと聞いたら、あなたはどんな人物像をイメージするだろうか。
今回、椙原社長にお逢いして感じたのは、私が想像していた社長像より、ずっと温和で謙虚な方だという印象だった。社長ご自身も、「自分はグイグイ引っ張っていくタイプではない」「優秀で人格の素晴らしい人に入社してもらって、活躍の場をつくるのが私の仕事」「彼らの邪魔をしないことが大事な行動指針です」と言って笑う。同社の幹部陣は、椙原社長のコンサルティングファーム時代の同僚をはじめ、さまざまなご縁で知り合った仲間だそうで、創業当初から一人も辞めることなく活躍しているという。きっと椙原社長の温かい人柄についてきているのだろう。創業当初より、金曜の夜には幹部で食事をするのが定例だそうで、コミュニケーションを非常に大切にされている様子も伺えた。

さて。インタビューを通じて、社長の口から「クライアントファースト」というキーワードが何度も出てきた。クライアントファーストとは、顧客にとってのメリットを最優先に考え、行動する姿勢のこと。改めて言葉にすると、当たり前のスタンスのようにも聞こえるが、実際の仕事で、これを徹底するのは難しい。誰にだって目先の利益を優先したくなる瞬間というのは、仕事をしていれば大いにあるし、もっと深いところでいえば、お客様の立場や価値観をよく理解していないと、相手にとっての本当のメリットを知ることなどできない。つまり、CS-Cが目指しているのは真のプロフェッショナルな集団であり、まさに理想の追求だ。これがどれほど難しいことであるかを自覚し、それでも本気で実現したいと考えているからこそ、同社にはクライアントファーストを組織に徹底させるための仕組みがあるのだと感じた。たとえば、「クレド」と呼ばれる5つの行動指針を掲げていること。これは、CS-Cの社員として、迷ったときにいつでも立ち戻ることができる価値観・判断基準である。ちなみに同社のクレドは、「圧倒的にクライアントファースト」「GIVE&GIVE」「集合天才」「1人でも最強、チームなら無敵」「素直な心で、謙虚に誠実に」の5項目。社内では、「クレドトーク」という時間を毎週30分設けており、クレドを体現した事例を各コンサルタントが発表したり、人事評価にも加えたりしているそうだ。営業活動をせず、紹介だけでお客様が増えているという事実からも、全社レベルでクライアントファーストを徹底していることで、顧客からの圧倒的な支持を獲得していることが想像できる。これからも椙原さんのチャレンジに目が離せない。

取材:四分一 武 / 文:アラミホ

メールマガジン配信日: 2018年9月21日