9歳からロンドンで育ち、英ダラム大学にて化学の修士号を取得。帰国後は、ホテルズ ドット コム ジャパンのマーケティングマネージャー、レゴランド・ディスカバリー・センター大阪のジェネラルマネージャーを経て、2017年にKAYAKジャパン初となるカントリーマネージャーとして入社。日本市場での立ち上げを経て、現在は日韓両国における事業展開および運営を務める。

KAYAK 日本・韓国ジェネラルマネージャー 山下 雅弘さん― KAYAKの会社概要・サービス概要について教えてください。

弊社は旅行商品の価格比較サイトとして2004年にスタートしたアメリカ企業です。航空券、ホテル、レンタカーなどは、同一商品でも各旅行サイトによって値段が変わりますよね。とはいえ、それぞれのサイトに自らアクセスして比較をするのは困難です。そこで、各社旅行サイトを横断・比較検索(メタサーチ)できるKAYAKを使っていただければ、自分の予算や希望に合った旅行オプションを瞬時に見つけることができます。たとえば旅先を絞らず、日程・自宅からの最寄空港・予算などをアプリに入力すれば、タップひとつで条件に合った世界中の旅行先候補を一括表示してくれるんですよ。

― それは便利!突然の休暇がとれたときにも活用できそうですね。

そうなんです。たとえば“Explore(エクスプロア)”という機能を使うと、「暖かい国に逃避したい」と思えば“気温”を条件に、「ゴルフやスキーがしたい」と思えば希望するアクティビティーを条件に旅行先候補を見つけられます。このように、旅の計画・準備段階における便利さはもちろん、弊社が目指しているのは、皆さんの旅のトータルサポートツールとなること。そのため、特に“Trips(トリップス)”という機能に力を入れています。フライトやホテル、レンタカーなどの予約メールを一つひとつ確認するのって面倒ですよね。KAYAKなら、それぞれの予約完了メールを転送するだけで、システムが自動分析して旅程を一覧にまとめてくれるんです。一目でスケジュールがわかるし、そのまま友達や家族にシェアできます。オフラインでも閲覧可能なので、旅先でも安心ですね。タクシーに乗る際には、現地の言語で表示される住所をドライバーに見せるだけ。面倒なことはすべてKAYAKに丸投げして、皆さんの旅をもっとラクに、もっと快適に楽しんでいただけるようなツールを目指しています。

― 競合サービスと比較して、なにか強みはありますか?

料金予測機能がユーザーから支持を得ていますね。購入した航空券が、あとで値下がりしていてショックを受けた経験はありませんか?KAYAKなら、7日先の価格動向をAIが予測し、予約のベストタイミングを表示してくれます。過去14年分のグローバルデータの分析に基づいた予測のため、その正確性は“天気予報レベル”とも言われているんです。また、日本のユーザーはJALとANAの利用率が高いので、ワンワールドやスターアライアンス加盟航空会社に絞ったフライトの検索ができるなど、痒いところに手が届くサービスになっていると思います。おかげさまで現在、検索数は前年度の倍以上と順調に伸びています。

KAYAK 日本・韓国ジェネラルマネージャー 山下 雅弘さん― ここからは、山下さんご自身についてお話を伺いたいと思います。子ども時代で印象的なエピソードはありますか?

今の自分に大きな影響を与えてくれた出来事はやはり、小学3年生の頃に、家族でイギリスへ引越したことですね。料理人だった父が、ある日突然ロンドンへ行くと言い出したんです。もともと渋谷にお店を持っていたんですが、体調を崩したのを機に、「昔から憧れていた紳士の国に行くぞ」って、店を売ってしまって(笑)本当に自由な人ですよね。父はロンドンで著名人も訪れる有名な日本料理店で職を得て、持ち前のコミュニケーション能力でお客様と繋がっていきました。大使館のSushiイベント、オックスフォード 大学での寿司に関する講義など、新たな仕事の依頼も拡がっているようでした。

― 山下さんにとって、突然の海外生活は、きっと苦労が多かったでしょう?

そうですね。日本の友達と離れて寂しかったうえに、なにかとスパルタな両親に、あえて日本人が一人もいないような現地校に入学させられたので(笑)日本にいた頃の僕は、わりとクラスでも目立つほうだったし、たくさん友達もいたんです。しかし、ロンドンに行くと状況は一変しました。やはり言語の壁もあるし、自然体では友達ができなくて。…というのも、日本と大きく違って、自分の意見を主張して周囲に認めてもらえなければ、自分の居場所は得られないんです。たとえば誰かが、あるサッカー選手のことが好きだと言ったら、それに対して単に同意するだけではダメ。「あの試合のゴールが素晴らしかったから、彼は凄い選手だと思う」…というように、同意するにも何か異なった切り口の主張が求められるわけです。悪意はなくとも、彼らから見たら、僕は英語のできないアジア人。昔から目立ちたがり屋の負けず嫌いでしたから、どうしたら自分の居場所をつくれるか、必死で模索しました。サッカーといえば、当時の日本はJリーグ発足前だったので、イギリスで皆がサッカーをしていても、僕はルールもわからず仲間に入れないんです。それで、サッカーで勝負するより、あえてバスケを始めることを選んだり。立候補が少なかった図書委員に、あえて手を挙げたり。あの手この手で周囲に自分をPRしながら、居場所を切り拓いていきました。さまざまな個性がひしめくなかで、いかに自分の存在をアピールし、意見を通していくか。これは、外資系企業で働くことになった今でも、変わらず求められるスタンスです。僕の場合、海外移住によって強制的に身についたスキルですが、今となっては当時の経験があって、本当によかったと思っています。

― 部活など、スポーツはされていましたか?

水泳は3歳からやっていました。日本にいた頃は関東大会で優勝するなど、そこそこ自信はあったので、将来はオリンピックの選手になりたいと思っていたんです。目立ちたがり屋ですから、とにかく何かの分野で“世界一”が欲しかった(笑)しかし、ロンドンでは厳しい現実を目の当たりにします。地区予選を通過して、いざロンドン大会に出てみると、周囲の選手たちとのレベルの差を見せつけられるんです。ここまで身体能力に差がある以上、勝ち目はないなと感じました。水泳で世界一を獲るのは無理。それなら、代わりに勉強で世界一になってやろうと。中学3年生のとき、ずっと続けてきた週4回の水泳をパタリと止め、勉強漬けの生活へとシフトしました。

KAYAK 日本・韓国ジェネラルマネージャー 山下 雅弘さん― すごいですね!勉強で世界一とは、何を指すのでしょう。

たとえばノーベル賞ですかね。僕が通っていた中高一貫校では、中学の同級生までは100人ほどいましたが、高校へ進学したのは15人ほど。これだけ少人数なうえに、高校は科目が選択制なんです。多くの生徒が音楽やアート系の科目を選ぶなか、僕が選択したのは理数科目。おかげで先生を独占状態で勉強できたので、レベルアップを図るには絶好の環境だったと思います。

― 理数科目が得意だったんですね。

はい。数学が最も得意でした。大学では化学を専攻しています。化学には数学の要素も多分にありますし、化学記号と初めて出逢ったときに、なんだか算数とアートを組合わせたみたいで面白いなぁと感じて。大学1年までは成績も学年トップ5に入っていましたし、当時は化学を本気でやろうと思っていましたね。ところが、勉強よりも楽しいことを見つけてしまって。それが、大学2年生から始めたアルバイトでした。学生寮にある店舗で、サンドイッチや飲み物など、食品を提供・販売する仕事です。面白いのが、学生向けのお店なので、利益を出してはいけないんですよ。もちろん赤字になってもダメ。そういった販売価格の調整や人のマネジメントが面白くて、最初は小遣い稼ぎのつもりで始めたバイトが、4年生のときには店長として運営を任っていました。大学生活後半はもう、バスケとバイト三昧の生活。楽しい日々ではありましたが、卒業が近づくにつれ、「僕はいったい何がしたいんだろう?」と自問するようになりました。化学の道に進むべきか否かもわからない。まだ見ぬ可能性があるかもしれない…。結論、卒業後はしばらく、自分さがしをすることに(笑)修士号までは取っていたので、化学の世界に戻りたくなったら、そのとき戻ってくればいいと考えていました。

― 「自分さがし」は、どんな結果になりましたか?

卒業の1週間前、「自分さがしは仕事しながら出来るだろう」と友人が声をかけてくれ、大学の秘書として9ヶ月間ほど働きました。そのあと、書籍や食品を扱うショップで、店長を1年ほど経験しています。ある日、店の新たな試みとして、オンラインショップの立ち上げ話があり、僕に一緒にやらないかと声がかかりました。2005年、2人の仲間と共にデータベースから勉強し、ゼロからECサイトを構築しました。当時はインターネット黎明期。「まずは本を載せてみよう」という初歩的なところから、徐々に日本の食品まで売るようになります。日本の商材を扱っていたのは、当時は僕らだけだったので、ヨーロッパ中から注文が集まるようになりました。日本食ブームの追い風もあって、受注管理や発送業務が急激に忙しくなり、最終的にはバイトを10人雇っても対応できないほどの繁盛サイトに成長したんです!このように、僕の人生はいつも“偶然”に恵まれていて、ご縁で巡り合った仕事で、たくさんの貴重な経験をさせていただきました。もちろん、いつでもチャンスを掴めるように自分自身でも準備はしてきたつもりですが、声をかけて任せてくれた周囲の人たちに、とても感謝しています。

KAYAK 日本・韓国ジェネラルマネージャー 山下 雅弘さん― 日本へ帰ってきたキッカケは何だったのでしょうか?

いつかは日本で仕事がしたいと思っていたんです。9歳からイギリスで生活してきたので、日本への憧れみたいなものがあったんですね。最初に経験したのは、化学・物理関連の雑誌を出版している外資系企業の、日本支社マーケティング担当でした。そのあと転職したホテルズ ドット コムでは、日本法人2人目の社員として、TVコマーシャルの製作など、さまざまなPR活動を経験させていただきました。4年ほど働いたのち、初のエンタメ業界へ転職。レゴランド・ディスカバリー・センター大阪のマーケティング担当として入社し、施設長も経験しました。2017年、KAYAKが日本へ本格参入するタイミングでお声がけをいただき、1人でゼロからの立ち上げを担うことになりました。学びの幅を拡げたいという考えから、これまで僕は転職するたびに、業界を変えるよう意識してきました。さまざまな業界を見てきた結果、旅行業界には改めて可能性を感じていますし、ゼロからの立ち上げに非常にワクワクする性質なんですよね。もちろんKAYAKジャパンを成功させる自信はありますが、たとえ失敗したとしても、自分の責任ですから誰のせいにもできません。スタートアップは結果が明確に出るので、チャレンジする甲斐がありますよね。

― 外資系企業で活躍するためには、どんなことが求められますか?

外資で働くには、セルフアピール能力が非常に大事だと思います。自分が何を経験してきて、何を学んだのか。それを相手に正確に伝えるスキルです。どんなに価値の高い経験を持っていても、たとえば面接官がそれについて聞いてくれなければ、云いたいことは伝わりません。面接官の質問を誘導するくらいの気概が必要ですね。会議でもなんでも、大切なのは自信をもって発言すること。たとえ意見が間違っていても問題ないんです。日本だと、間違った発言は許されないような雰囲気がありますよね。いつでも「正解」が求められる。一方で、100人いたら100通りの意見があってオッケー。これが世界の常識です。いかに自分の意見を主張し、周囲に通していくかというスキルのほうが重要になります。あとは、やはり成果主義の文化ですね。僕もいま、日本におけるKAYAKの知名度を上げるべく、日々尽力しています。将来的にはアメリカと同様、「KAYAKの仕事で来た」の一言で、空港のイミグレーションを通過できるくらい、誰もが知っているサービスに育てていきたいですね。


◆ 編集後記 ◆

趣味はランニングだと話す山下氏。昨年は大阪マラソンに出場し、この夏には100キロマラソンや東京マラソンへの出場を予定しているという。フルマラソンの自己ベストは3時間18分(かなり速い!)冒険好きが高じて、“ハセツネ”と呼ばれるハードなレースにも出場経験があるそうだ。概要はなんと、制限時間24時間の日本山岳耐久レースで、夜間にはヘッドライトとハンドライトの光を頼りに奥多摩を約70キロぐるっと回る凄まじいレースだ。筆者には到底理解しがたい世界だが、「チャレンジが好き。日常で、ここまで自分を追い込んで何かに挑むことってないですよね。何かの分野で世界一は、まだ諦めてません。人にも負けたくないし、自分にも負けたくないんです」と爽やかに笑う。KAYAKジャパンの立ち上げを1人で担って1年が経ち、ユーザー数も着々と伸びているようだ。山下氏の今後の活躍から目が離せない。

取材: 四分一 武 / 文: アラミホ

メールマガジン配信日: 2018年6月18日