やりたいことなどなかった少年時代

― 子どもの頃の宮森社長について教えてください。

何歳くらいのことですかね。過去のことって、あまり考えないもので。基本的に明日のことしか考えませんからね(笑) 成績表にはよく、「落ち着きがない」とか「協調性がない」とか書かれていた気がしますよ。兼業農家の長男として生まれて、いつも田んぼで遊んでいました。箸の持ち方とか食べ方とか、礼儀に厳しい親に育てられました。

― 部活など、スポーツはされていましたか。

中学ではバスケ、高校では馬術をやっていました。昔から、人とちがうことがやりたいという想いは強いほうでしたね。いつも近くで競馬を見ていたのでジョッキーに憧れたこともありましたが、身体が大きすぎたので、それは叶いませんでした。

― 中高時代で、印象深いエピソードはありますか。

中3くらいから、ほとんど学校へ行ってなかったんです(笑) 誰かの家に仲間でつるんでいたり、海で獲った魚でBBQをしたり。仲間と好きなことをして楽しく過ごしていました。

― その当時、やりたいことや夢はありましたか。

将来のことは、あまり考えていませんでした。ただ、人とのご縁は昔から大事にしてきたかなぁ。高校時代の複合施設の掃除のバイトも、先輩の紹介だったのもあって3年間ずっと続けていたし、お世話になった高校の先生とも、今でもたまに飲みに行ったり。ひとつひとつのご縁の積み重ねに助けられて、今の自分があると思っています。

株式会社ゴーゴーカレーグループ 代表取締役 宮森 宏和さん松井選手のホームランに感動し、脱サラを決意

高校を卒業して1年ほどはパチプロ生活を続けていたんですが、さすがに社会的地位もないですし、当時人気業界だった旅行の専門学校へ進学しました。卒業後は地元の旅行代理店に就職し、ツアーコンダクターや旅行企画の仕事をしました。成績も挙げて充実していたし、仕事は断然面白かったですね。当時は年間360日くらい働いていたと思います。地元企業の社員旅行に添乗すると、社長たちから若かりし頃の武勇伝や経営哲学を聞くことができ、非常に勉強になりました。ところが、不景気で会社の業績は右肩下がりが続き、ついに別会社に吸収合併されることに…。社長を目指して8年半も働いてきたので、30歳を前にして急に道が閉ざされてしまったような感覚でした。

2003年4月、転機は突然に訪れました。ニューヨーク・ヤンキースに移籍した松井秀喜選手が、開幕戦で満塁ホームランを放ったんです。TVの前で、それはもう震えるほど感動しまして。松井は僕と同郷かつ同世代。「これは負けてられない。自分もメジャーになってNYに行くぞ!」と思い立ち、同年8月に会社へ辞表を出しました。

― すごい話ですね!ところで、なぜ“カレー”での起業だったのですか。

あのときの松井選手のホームランが、いつしか忘れていた過去の決意を思い出させてくれたんです。20歳のとき、アメリカ留学で初めて訪れたNYに魅せられ、「いつか必ずこの街に戻ってこよう」と誓っていたんですよ。とはいえ、今さらスポーツでメジャーを目指すのは無理。では、ビジネスでメジャーになるためには、何を事業にしたらいいんだろうと。ありがたいことに、太陽光の代理店や外資系生命保険の営業など、高収入が望めそうな仕事や政治家への道のお誘いも多々いただいたのですが、それでは念願のNYに進出できない。だからといって政治家になったとして、NYには行けるかもしれないけど今度は自由がない(笑) いろいろ考えた結果、自分が昔から大好きな地元のカレーで勝負しようと思ったんです。ネットで検索すると、カレーといえばココイチしか出てこなかったし、まだまだ可能性がある。「カレーならNYに行ける!」と思ったんです。

30歳で会社を設立。新宿1号店オープンから、夢のNY進出へ

実は会社を辞めて東京に出たあと、先輩のひと声で金沢に戻り、数カ月間だけ国会議員の秘書をやっていました。先輩にはいつだって、「はい!」か「YES!」か「喜んで!」ですから(笑) 県議や市議、社長たちのスケジュールを任されて、なかなか面白い経験をさせてもらいました。密室の中から、相手方の陣営の動きをゲームのように予測し、スケジュールを組んでいくんです。相手の動きが手に取るようにわかる瞬間があるんですよ。戦略的に組織を動かす経験ができたことは、今の経営にも大いに役立っていると思います。

そのあと地元のカレー店で約半年間の修業を経て、2004年5月5日、新宿に1号店をオープンしました。予定日に工事が間に合わないと業者から言われたんですが、5月5日(ゴーゴー)の開店は譲れなかったので、自分たちで施工しました(笑) そんなこんなで迎えたオープン当日、なんとメンバー全員が、開店1時間前に目を覚ましたんです。なんせオープンに向け不眠不休が続いたせいで、プレオープンを終えた瞬間に安心しきって爆睡!携帯のアラームくらいじゃ、誰も起きなかったんですね(笑) 慌てて飛び起きてダッシュで店に向かうと、そこには日ごろ見たことのない大行列が…。何か事件でも起きたのかと思ったら、なんとウチの店にみんな並んでくれてたんですよ(笑)

それからは、ちょうどB級グルメブームも追い風になって、店はどんどん繁盛していきました。毎日20時間労働、チラシも毎晩ポスティング。出来ることはすべてやって、疲れ果てて店で寝るような生活でした。この当時は、ゴーゴーカレーの知名度を上げるために、とにかく目立ってなんぼの世界。議員秘書時代の選挙活動の発想で、街宣車に自ら乗ってド派手にPRしたり、新店オープンのたびに発生する“55円キャンペーン”の大行列が話題を呼んだり(笑)人がやらない戦略が功を奏して、出店も順調に進みました。そして、創業から3年後の2007年5月5日、念願のNY進出も果たすことができました。

株式会社ゴーゴーカレーグループ 代表取締役 宮森 宏和さん苦難を乗り越え、新たなステージへ

10年目を迎えたとき、アジア展開の失敗や投資の未回収から、約5億円の損失を出してしまい、創業以来の大ピンチに陥りました。苦しい局面ではありましたが、従業員やお客様、周囲の人々に助けていただいたおかげで、無事に乗り切ることができました。創業期から事業計画書やら給与計算、社会保険など何から何まで、知識も経験もなく走りながら辻褄を合わせてきた状態で、思えば経営を体系的に学んだことがなかったんですね。会社が成長して店舗も従業員も増えた今、企業として次のステージにシフトすべき時期に来たのだと捉え、経営塾やビジネススクールに通って経営を改めて学びました。

― そこから現在に至るまで、何か変わったことはありますか。

店舗数や売上を追い求めるのではなく、既存のお客様からもっと愛される存在を目指そうと方針転換をしました。「顧客の創造、顧客への奉仕、よりよい社会の実現」を事業の目的としたんです。顧客の創造とは、既存店の顧客数増大はもちろん、ゴーゴーカレーファンの総数を増やすこと。そこで、店舗の外でも喜んで食べて頂けるシーンを想定し、レトルトカレーの販売も開始しました。我々のミッションは、美味しいカレーを世の中に広め、社会を元気にすること。資金繰りにも苦労したので、銀行員からも愛される会社にしたいと思い、幹部社員を迎えて財務体制を盤石にし、毎月の月次会計報告も丁寧に行なっています。

宮森社長の開運哲学

経営者の仕事の本質は、自らの実力で何かを成し遂げることではないと思っています。実力のある人財を、いかに揃えられるか。経営者が部長の仕事をしてちゃダメなんです。能力の高い人財を集めるには、徹底して運気を高めること。これも、経営者の大事な仕事のひとつだと思いますね。

― なるほど…。でも、どうしたら運を上げることができるのでしょうか。

運のいい人には、必ず共通点があります。まず、いい笑顔をもっていて明るいですよね。仕事においても運が上昇していく人は、与えられた環境や周囲への感謝を忘れず、地道に努力して成果を出します。だから収入も上がるんです。お金持ちになりたければ、人から愛される人になる必要があります。なぜなら、お金も人が運んでくるものだからです。そのためには、自分のことばかり考えていてはダメ。自らが人を愛し、世のため、人のために行動するからこそ、人から愛される人になれるのです。

弊社では、『開運手帳』というオリジナル手帳を全スタッフに配布し、従業員一人ひとりが運気を上げるための行動指針を、常に確認できるようにしています。そのなかには、「神仏を大事に!」「親と先祖を大事に!」「トイレは綺麗に!」など、一見すると仕事には関係ないような条文も書かれています。しかし、幸せに成功し続けている人たちは皆、このような目に見えないものを大事にすることで、日常的に運を高める努力をしているんです。運は不可能を可能にする。そして、不運は可能を不可能にする。彼らはそのことを、よく知っているんですね。

弊社は昨年のオフィス移転と同時に、社内の“氣”が高まるようなデザイン・構造にこだわって施工してもらいました。会社組織こそ、運の集合体ですからね。従業員が会社にいる時間は自宅にいる時間よりも長いですし、毎日使うデスクや椅子、レイアウトや配色に気を配ることで、従業員はもちろん、訪問されるお客様まで元気になるような快適な空間づくりを心がけているんです。

― 宮森社長が運を重んじるようになったキッカケはありますか?

育った環境も多少は影響しているかもしれません。地元金沢は浄土真宗王国といわれ、どの家にも大きな仏壇がありましたし、祖父母と同居だったので日常的にお経が聞こえてくるような家庭でした。悪事を働けば罰が当たるものだと、当たり前に思っていましたね。

ゴーゴーカレーグループの野望

近い将来、ゴーゴーカレーが世界中の人々から愛され、「なくてはならない存在」になっている…。そんな景色を見たいと思っています。そのために2040年、売上高2兆円を目指します。まずは全米展開に特化し、将来的には世界中にカレーのプラットフォームを創りたい。ビジョンの実現にはクリアすべき壁も多々ありますが、ゴールは見えているので、あとは坦々とやっていくのみです。

“健康”と“高齢化”が世界の潮流ですから、今後は“美味しい”だけでなく、カレー自体の機能性も高めていきたいですね。たとえば、アミノ酸を豊富に含んだ、“アスリート専用カレー”。 カレーを食べるとパフォーマンスが上がることは、アスリートの中では既に知られています。人間の健康は腸内環境に大きく影響されるといわれていて、カレーには腸内の温度を高める作用があるんです。ゴーゴーカレーは、すべての人々の健康や幸せに貢献できる可能性に溢れている。我々のカレーで、世界に革命を起こしますよ!

株式会社ゴーゴーカレーグループダイバーシティこそビジョン実現のキーワード

いま、会社の成長にとって、能力のある“不満分子”の存在が必要です。現状に満足することなく、強烈な個性や情熱をもって行動できるリーダーが欲しい。いわゆるお利口さんだけでは、目指す経営はできませんから。一点突破の能力があれば、「落ち着きがない」「協調性がない」、そんなの上等ですよ!天才のそういう性質って、後天的に出来たものじゃない。ジョブズはもともとジョブズ、信長だって生まれたときから信長だったんです。尖がった人は、日本だと疎まれたり評価されにくかったりしますが、弊社では大歓迎です。僕らは今、アジアに視野を拡げ、そういう天才を発掘しようとしています。年齢・性別・国籍・学歴、なんにも関係ありません。尖った人財にこそ投資して、そこから生まれる突拍子もないことに期待しているんです。日本企業は特に、「失敗をさせない」「失敗を許さない」という風潮が強いですが、それって結局は挑戦をしないということ。だからチャレンジングな人材は、外資系企業に流れてしまうんです。失敗したって構わない。痛い目に遭って初めてわかることもあるし、諦めずにチャレンジして、最後に勝てばいいんです。世の中で最も失敗してきた人は誰だと思いますか?アップルのジョブズですよ。弊社はカレー界のアップルのような企業を目指していますから、チャレンジを何より歓迎します。

― 御社で活躍されているのは、どんな人財ですか?

年齢・性別・国籍・学歴すべて関係なしとは言ってますが、海外ではそんなの普通なんです。世界の人口に占める日本人の割合は、たったの1.6%。残りはすべて外国人なわけで、国籍なんて気にしているのは、日本人だけだったりするんですよね。弊社にも優秀な外国人の社員が多くいて、管理職にどんどん昇格しています。また、アメリカ現地法人も含めると、役員6人のうち3人が女性です。欧米でもアジアでも、年収1500万とか2000万とか、海外には当たり前に稼いでいる人がゴロゴロいますね。しかも残業がなく、生産性も高い。弊社も世界に照準を合わせて、成果に応じて基本給をどんどんあげて行きたいと考えています。一方で、ポジションや収入が最大の動機ではなく、会社や仲間、お客様のことが大好きで、長く働いてくれている社員もいます。このダイバーシティこそ、ゴーゴーカレーの強み。テクノロジーが進歩し、常識もどんどん変わっていくこれからの時代にも、弊社ならどっしりと構えて乗り越えていけると自負しています。


◆  編集後記 ◆

ゴーゴーカレーTシャツにサロン姿で温かく迎えてくださった宮森社長。知識も経験もなかったカレー店での起業を決意してから、創業わずか3年後には夢のNY進出を実現。いかにも大胆不敵な印象を受けるが、意外にも少年時代には未来のビジョンなどなかったという。お話をお伺いするうちに、お世話になった恩師と今でもお付き合いをされていたり、最初の就職先でも求められる以上の成果を出したりと、一つひとつのご縁やチャンスを大切にされ、恩に報いるような生き方をしてきたからこそ、天命をつかむことができたのかもしれないと感じた。「世のため、人のため」という言葉が会話を通してよく出てきたが、実際に創業当初からカンボジアの恵まれない子どもたちへの寄付を続けられており、現地に3校目の学校も設立。身近にこんなにも素敵なグローバル企業があったなんて、勝手に誇らしく思ってしまった。「世界中にカレーのプラットフォームを創る」という独創的なビジョンを掲げる宮森社長。いつだって本当に世界に革命を起こすのは、こういう尖りに尖った天才なのだと思う。

取材: 四分一 武 / 文: アラミホ

メールマガジン配信日: 2018年6月4日