スマホやPCを使っていて、システムの不具合やハードウェアの故障などでデータにアクセスできなくなり、困った経験はないだろうか。今回訪問したデジタルデータソリューション株式会社は、こうしたトラブル時のデータ復旧で10年連続業界No.1の座を誇る。2014年9月に代表取締役社長に就任した熊谷氏は、創業時に面接第一号として入社した経歴を持つ。自身をまるで島耕作のようだと語る、熊谷氏にお話をうかがった。

デジタルデータに特化し、「困った人を助けるサービス」

IT化が進み、多くの人がスマホやPCを活用する今、1人ひとりの膨大なデジタルデータが蓄積され続けている。ところが当たり前のようにアクセスできていたデータが、ある日急に消えてしまったり、アクセスできなくなったりすることがある。そうしたトラブルに対応し、困っている人々をデータ復旧でサポートしているのがデジタルデータソリューション株式会社だ。サービスを利用しているのは個人が7割、法人が3割。個人の場合はUSBメモリの趣味や家族のデータ、法人の場合はデータセンターにある社内の業務データの復旧依頼が多いという。

こちらでは主力の「デジタルデータリカバリー」のほかに、AIを使った「デジタルデータバックアップ」、不正や犯罪における証拠データやログの調査・解析を行う「デジタルデータフォレンジック」、低額な保証料で高額な復旧費用をカバーする「デジタルデータワランティ」といった事業を展開している。多岐に渡る専門サービスは、熊谷氏によるといずれも「困った人を助けるサービス」だという。日本でNo.1に輝いたその先には、世界でのNo.1を視野に入れ順調な成長を続けている。

デジタルデータソリューション株式会社 代表取締役社長 熊谷 聖司さん弱小校で甲子園を目指すことを決めた高校時代

現在41歳、千葉県出身の熊谷氏は、物心ついた頃からバットとボールに触れる野球少年だった。野球が強い強豪高校を希望していたが、これから野球に力を入れたいのでぜひうちに入学してほしいと誘いを受けた高校に入学を決めたという。「入学して野球部に入ったら、あまりの弱小ぶりにショックを受けました。1年生の自分のほうが、3年生の先輩より野球が上手いんです。高校で甲子園に行くことを夢見ていたので、第一希望だった強豪校への転校が頭をよぎりましたが、これまで応援してくれた人達を思うとできない。悩んだ末に、ここでがんばることを決めました」

夢だった甲子園を諦める代わりに、ここで可能な限り高みを目指すと決めた熊谷氏は、部員達に積極的に働きかけることで、強いチームに変わることを目指した。下手なのに「ぬるい練習」しかしていない彼らには、自らきつい練習をこなす姿を見せた。「強豪校にいった野球仲間の練習内容を聞いて焦りました。彼らがそれだけやってるなら、こちらはその3倍はやらないとだめだと思いました。当時は授業が終わると15~21時まで毎日練習。100mダッシュを1日100本など、いまから考えると無謀な(笑)きついカリキュラムを自分に課していましたね」

部員達に強くなることについて熱く語り、部内で少しずつ仲間を増やしていった。熊谷氏の熱意が通じたのか、3年間を通して部内に批判や障害が生まれることはなかった。こうした熊谷氏のムードづくりが功を奏し、高校3年生の頃になると、甲子園の常連校といい試合ができるまでになった。甲子園に行くことは叶わなかったが、野球をやりきった清清しい気持ちになったという。

会社を辞め、世界各地でサーフィンを楽しむ旅へ

高校を卒業した熊谷氏は、土木の専門学校へ進学した。大きな金額が動く土木の世界なら、大きな仕事が出来るかもしれない、と考えたからだ。橋の設計やダムをつくるための水工学など、学ぶ内容は「まさに理系」。大きな建造物を作り上げていく技術の数々に、深い感動を覚えたという。専門学校を卒業後は、設計事務所へ。ところが2年目に訪れたITバブルを目の当たりにしたことが、熊谷氏の転機となった。

「ITバブルで私と同年代の若い人たちが世の中を動かす大きな仕事をしている。自分もそっちの世界に行きたいと思い、設計事務所を辞めました。1年ほど豪州、バリ島、中国、ハワイなど、世界各地でサーフィンを楽しみながら、帰国しては電話やネット回線を売るフルコミッションの営業を行っていました」

熊谷氏がこのときに入社した会社にいたトップセールスマン20人がスピンアウトして立ち上げた新会社が、デジタルデータソリューション株式会社だ。

デジタルデータソリューション株式会社 代表取締役社長 熊谷 聖司さんこれからの9年間で、世界No.1を目指す

営業が得意だった熊谷氏は、設立したばかりのデジタルデータソリューション株式会社に誘われ、面接第一号として入社した。20人という小さな規模では自分の結果が業績に大きな影響を及ぼす。その責任と同時に仕事のおもしろさを感じ始めた。勝ちたいという気持ちで苦しさに耐える野球に似て、目標を達成したいという気持ちで目の前の課題に打ち込み、結果を出し続ける仕事に夢中になっていった。

入社3年目に役員に就任した熊谷氏は、翌年にデータ復旧事業の立ち上げに携わる。世界中を飛び回って技術を買い付け、自社に移植。優秀なエンジニアを引っ張り、組織を作り上げていった。熊谷氏によると当時のデータ復旧サービスは殿様商売で対応が悪く、費用も高かった。そこに自分たちが参入し、困っている人達をサポートすることで業界を変えられるのではないかと考えたのだ。その読みは見事的中し、最初はひと月200万円だった売上が、現在は100倍近く伸び、10年連続業界No.1の地位を維持している。

「順調に出世して社長になった私って、島耕作みたいですよね(笑)」と、はにかみながら語る熊谷氏の今後の目標は、自身が50歳になるまでの9年間で売上を1000億にし、世界No.1になることだ。そのためには人が最も重要ととらえ、いま採用に力を入れている。「ビジネスがいくら大きくなっても、弊社のベースにあるのは『困っている人を助けよう』という気持ちです。デジタルデータに特化した問題解決というテーマは、今後も変わらないと思います」と熊谷氏は締めくくった。

取材: 四分一 武 / 文: ぱうだー

メールマガジン配信日: 2017年8月**日