未公開有料収益物件の仕入れを強みとし、創業1年で売上高59億円を達成し、ますます注目を集める不動産ベンチャーのHEARTS Asset Management株式会社。ここでは一棟・区分収益不動産の買取、販売、仲介だけでなく、リフォームやリノベーションなども手がけている。渋谷にあるオフィスを訪れると、モダンなカフェのような洗練されたインテリアが出迎えてくれる。代表の植西氏にお話をうかがった。

厳しい家庭に育ったからこそ、自由を渇望した

代表を務める植西氏がHEARTS Asset Management株式会社を創業したのは、2015年7月。それから2年も経たないいま、年商100億円を目の前に会社は急成長を続けている。京都で生まれた植西氏は、厳しい家庭に育った。TVゲームは禁止、服装も半ズボンと決められていた。高校生になってまわりがアルバイトを始めても、両親は植西氏が働くことを許さなかった。4歳下の妹と比べると、長男としてより厳しい教育を受けていたという。

「早く大人になりたい」「自由に活躍したい」という気持ちが募る中で、中学3年生のときに塾に通いだした。「勉強して成績がよくなれば、自分が活躍できる場が広がる」そう感じた植西氏は、勉強に目覚め、勉強の楽しさを知った。そして大学に進学し、親元を離れて自由に行動できる環境を手に入れた。
「本当は東京の大学に行きたかったんですが、親が許しませんでした。地元の京都で手に入れた人脈はいまでも大切にしていますが、もしあのとき東京の大学に行っていたら、また別な人脈が手に入ったのかなと思います」

HEARTS Asset Management株式会社 代表取締役社長 植西 剛士さんアルバイトを通じて、社会人の勉強をしたかった

大学時代の植西氏は、家庭教師などのバイトの傍ら、1年生のときに1人でネットオークションを活用した会社を起業した。仕入れた商品は飛ぶように売れ、2週間で300万円を売り上げることもあったという。ちょうどこの頃、飛ぶ鳥を落とす勢いの堀江貴文氏がマスコミに注目され、IT企業を中心とするベンチャーブームが起こった。堀江貴文氏の著書に触れた植西氏も、「事業をやるってどういうことだろう」と考え始めた。

大学時代の植西氏は、様々なアルバイトを経験した。お金を稼ぎたいだけでなく、社会人について学びたいという気持ちからだった。「人に教えることが好きなので、先生になりたかったんです」と語る植西氏は、塾や私立学校の補習講師として教壇に立ったこともあったという。アルバイトを通じてチェーンの飲食店、ホテルの結婚式の裏方など、幅広い仕事の現場をみることができた。

内定をもらった会社ではなく、ベンチャーを選択

大学を卒業した植西氏は、不動産のベンチャー企業に入社した。社長は29歳という若い会社だった。「就職活動は大変でした。123社を受けて、内定が出たのは5社。でもその5社には行かず、ベンチャーに行くことを決めました」。就職活動では貿易やマスコミも検討していたが、金額が大きい商材を扱う不動産業界に興味を感じていたという。

新人だった植西氏は、飛び込み営業やテレアポなども苦にせず、精力的に働き、めきめきと成績を伸ばしていった。その中で「もっと幅広い不動産知識をつけたい」という気持ちが募るとともに、大学時代に興味を感じた起業について考えるようになった。「30歳になったら起業する、そう決めました。起業するには自分になにが足りないのかを考え、行動するようになったんです」

HEARTS Asset Management株式会社 代表取締役社長 植西 剛士さん不動産を核に、良質な投資を扱っていきたい

不動産業界での起業を見据えた植西氏は、その後様々な分野での経験を積んでいった。売買仲介、賃貸管理、不動産投資など、多岐に渡る不動産知識を仕事で活躍することを通じて身につけていった。30歳で起業することを決意していた植西氏にとって、22~29歳まではまさに勉強の期間だったという。そして30歳の誕生日を迎える20日前に起業し、現在に至る。

さらなる成長が期待されるHEARTS Asset Management株式会社。植西氏に今後のビジョンをうかがった。「今後は総合不動産企業として、組織を形づくりたいと考えています。お客様のいろんな投資ニーズに応えていきたいんです。不動産に関することならハーツとお客様に選ばれる会社になりたいですね」
2020年には500億円の売上を目指すHEARTS Asset Management株式会社では、REIT、M&A、金融にも拡大しようと計画している。不動産を核に「良質な投資を扱っていきたい」と語る植西氏。不動産業界にどんな変革をもたらしてくれるのか、の今後の活躍に注目したい。

取材: 四分一 武 / 文: ぱうだー

メールマガジン配信日: 2017年5月10日