「情報で世直しするためにこの会社を作った」という、オールアバウト代表取締役社長の江幡 哲也(えばた てつや)さんにお話をお聞きした。
江幡さんは、1987年に武蔵工業大学(現・東京都市大学)を卒業したのち株式会社リクルート(現・株式会社リクルートホールディングス)に就職し、技術職を経てマーケティングや営業、経営企画などの部門を経験。「キーマンズネット」を始めとするIT分野での新規事業に数多く参画し、2000年には独立・起業。インターネットメディアを運営する株式会社オールアバウトを設立し、運営サイトの月間総利用者数は現在3000万人を超える。

ITの道を志し、リクルートへ

江幡さんの実家は中小企業を営む家庭。父親が社長、母親が管理部門と両親ともに多忙であったために早くから自立した子供だった。理系に進んだのも 「お前は将来(父親を継いで)経営者になるんだから。これからの時代は理系のセンスが必要だ。」という周囲の声もあったからだという。

「武蔵工業大学の電子工学科というところで、その時はITという言葉はなかったんですけど、そういうのに興味を持って。ITがいろいろと世の中の仕 組みを変えていくんだと言われて自分でもそう思っており、興味を持っていきました。でも、すごく堅い大学だったので、同期の就職先はみんなメーカーの研究所とか生産現場とか、THEメーカー。ITの情報通信系を目指す人はほとんどいなくて。その中ではかなり浮いていたと思います。」

まだITという言葉すら広まっていない時代。しかし、江幡さんはすでに時代の先を見据えていた。

「それまでは、通信事業は国しかやっていなかったのですが、その当時、通信の自由化でNTTが生まれて。それに伴って色々な企業が通信産業に参画す るという時代でした。その中の1社にリクルートもありました。就職先をリクルートに決めた理由は、面白いんじゃないかというのが一つと、自分がもしかした ら実家の社長をやらされるかもしれないから早く力をつけなきゃいけないという焦りとで、早く実力のつく会社“リクルート”に飛び込んだ、というわけです。」

夢中で働いた一年目

リクルート入社後は、情報通信ネットワーク事業の技術職に配属されるも、はじめは“この会社ではやっていけないかもしれない”と感じていた。

「同期で何人もすごい奴らがいて、みんな“俺が社長になる”と言っていましたね。これはとんでもないところに入ってしまったな、場違いだなと思っていました。配属先では、当時通信事業の主力商品だった『WATTS(ワッツ)』という企業内電話のネットワーク設計をやっていて、なんと新人なのにそこ のリーダーをやらされて。1年目で担当した発注金額が150億円。分不相応の仕事をさせていただいてたのは確実ですよね。普通だったら何十年のキャリアを 積んだあとにやる仕事を1年目でやらせていただいた。その代わり、人よりも一生懸命働きますし、認められなければいけない。そんな感じでよく働きました ね。たぶん記憶だと1年目に休んだのは1日だけだったと思います。」

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不遇の人事異動が転機に

与えられたチャンスに酬いるためにがむしゃらになって働いた1年目。2年目からは新規事業の立ち上げに携わるも、思わぬ転機が訪れる。

「FNX(FAXを一度に同時送信できる商品)という新しい事業の開発・立ち上げをやって、その時、ぼくは当然技術者で行くと思っていたんですが、 突然営業をやれと言われ。当時のリクルートでは理系の人間というのは営業に移る人はほとんどいないのに、なぜか僕だけ異動になって。営業やるために入った んじゃねーよ、みたいな感じで非常にグレましたね。それでもある課のリーダーをやらされたんですが、営業でいきなり同期とか先輩とかに勝てないじゃないで すか、みんなそれまでバリバリやってきてますし。それでちょっとおもしろくやってみようと思い、自分なりの工夫で営業を始めました。それがすごく転機にな りましたね。」

意に反する異動を転機へと変えた営業方法とはどんなものだったのか。

「簡単な話なんですが、売っている商品は自分が技術部隊として立ち上げた、自分が作った商品じゃないですか。だから誰よりも商品を知っていることに 気づきまして。あと、売っているものは通信の商品なので、お客様も素人よりもエンジニア、つまり通信について知っている方が信頼を得やすいんですよね。と いうことに気づいて、いわゆるIT系の企業に商品を売りに行ったんです。商品に関する話が通じやすいから。僕がいちばん初めに受注をした会社が現在では世 界的な大企業である某ソフトウェア会社の日本法人で、当時はまだ小さなオフィスビルの一室で少人数でやってましたね。そこでは当然ソフトウェアを売ってる んだけど、卸を通して商品を流すから売り子さんが商品の特徴をなかなか知ってくれていなかった。そこでダイレクトに商品を売ったらどうですか、という提案 をしたらそれがハマって、FNXを用いてFAXでの情報提供をしはじめた。今でいうメルマガですね。これはいけるかもと思い、他にもありとあらゆる業種、 需要のあるところ、すなわち自社製品のアピールのし難さを感じているところにお伺いして、『それは自社でダイレクトに情報を流したらいいんじゃないです か』と提案しては同意をいただき、結果商品を買っていただけたんです。同時にいろんな業界の構造を整理できました。」

ITで革新を起こす

技術職経験があったからこそできた営業方法で成功を収め、次なるステップへ。

「自分が売るだけじゃもったいないので、営業で知り得た業界の流れとか問題点とか、日本の業種の全部を調べて社内で本にしたんです。本に書ききれな くなったら営業に必要な情報をデータベース化して共有して、みんなが僕のやっていた売り方ができるようになった。この仕組みによって一人の営業マンが担当 できるお客様の数を10倍とか100倍にできるようにしたんです。お客様にその仕組みを売ってほしいと言われてそれ自体が商品になったりもしました。こん な風に“ITで変わっていく”ということをやりだしたのが20代後半。それと同じ頃にやったのは、営業を通して見えてきた世の中の矛盾とか直すべき点を是 正するための事業企画をどんどん書き出して、今の自分の商品に変えるということ。 事業提案を年間100本やろうと決めて、上司に毎日提案したり企画書書いたりしていました。20代の終わりごろには、その中のいくつかを実現するための部 署を作ってもらえました。」

なぜ『年間で事業提案100本』という厳しい目標をあえて設定したのだろうか。

「アイデアを0から生み出すって大変じゃないですか。時間をかければ終わる仕事ではなくて、いつ越えられるのかわからない壁があって難しい。だから そこにはテクニックというか、癖や筋肉みたいなものが必要なんです。そういうのはやっぱり訓練しないとね、自分は新しい事業を作りたいし、提案したいと思っているわけだから。あと情報ネットワーク業界は競合相手がNTTでしたから、いわゆるエスタブリッシュメントな業界での競争をやっていたわけです。自分たちで何か新しいものを提案しない限りは、もうその事業そのものが無くなる、というのを全員が思っていましたし。そういう厳しい環境でおもしろいことができたのが一番よかったんだと思います。」

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そして起業へ

そんな事業提案の中に、現在のAll Aboutのもととなるアイデアもあった。

「93年ごろからインターネットが流行りだして、95年に『キーマンズネット』というサービスを立ち上げました。これは企業内の製品導入に対する意思決定者向けにニーズを聞いて、商品情報を届けるネットサービスのウェブサイトで、インターネット業界の走りだったと思います。これが評価されて通信事業部隊から経営企画に異動して、リクルートが今後ネットやITを使っていく上での長期戦略を考えることになりました。」

リクルート全体の経営方針に携わるなかでも、ずっと江幡さんのなかにあたためられていたいくつもの事業アイデア。そのなかで一番やりたかったのがAll Aboutのアイデアだった。

「そろそろAll Aboutのアイデア実現に取り掛かろうかなと思っていたら、アメリカにたまたま自分の考えと同じようなことをやってるAbout.comというサービスが注目されはじめていたんです。それであれば一緒にやろうということになり、2000年の6月にリクルートとAbout.comの合弁会社を作って、起業しました。リクルートのなかでやっても良かったんですけど、自分としてはリクルートの中だとこの事業は実現は難しいと思って独立しました。かつ、リクルート側からしてもこういう事業、海外企業とのジョイントベンチャーを作るということは経験すべきということで、リクルートも出資してくれました。」

海外ベンチャーと組んでやっていく上ではどんなことに苦労したのか。

「やはり文化という点ですね。日本は自前主義で、他者と組むとかアメリカ市場をてこにしてお金を集めて…というやりかたは『ずるい』、なんて言われることはありました。でもIT業界の他の競合相手が色んな手段を使ってくる中で全部自前主義でやっていくと、スピード感が遅かったりしますから。この事業領域では旧来の自前主義の事業モデルでは生きていけないっていうのを分かってもらえるまでに時間はかかりましたね。」

今後の展望 ― 日本を元気に

起業当初は従業員40名、専門家(ガイド)161名、利用者数ゼロから始まったオールアバウトも、今や従業員200名以上、ガイド約700名、月間 総利用者3,000万人以上のメディア企業に成長。常に時代の先を見据えてきた江幡さんには、今どんな未来が見えているのだろうか。オールアバウトの今 と、これからの展望について伺った。

「(起業から)10年ちょっと経って、まだ5合目って感じですかね。オールアバウトがやりたいことの基盤は『いろんな分野で活躍している専門家の方たちが活躍できる場をつくること』。インターネット会社が先にあるわけじゃなくて、たまたまそのやり方の一つとして活躍できる場をインターネット上に作ったのがAll Aboutというメディアなんです。だからその活躍の場がインターネット上だけにとどまる必要はないんです。今は第一ステージから第二ステージに来ているタイミングで、戦略を一言でいうと『ウェブ&リアル』、ウェブとリアルを両方進めていく時期に来たなと。たとえば、社会人向けの学校を開いたり、いろんなことに広げだしている時期ですね。そういう意味ではまだまだ道半ばですけど、いい感じに転換しつつあるかなと思っています。今までの第一ステージではリーマンショックや震災があったり、思い通りにいかなかったこともありますけど、軸はぶらさずにやってきているので、長くかかるかもしれませんが着実にいってるかなという感じです。」

今のオールアバウトを「5合目」「道半ば」と表現する江幡さんがイメージするゴールとは。

「僕がこの会社を作った大きな意味は“日本を元気にする”ということなんですけど、僕は日本は企業に頼って大きくなった国だと思っていて、その仕組みがいま崩れているなか、この先は個人の自立がないといけないと思うんです。働く側(専門家)とサービスを使う側(サイト利用者)、両方の個人の自立を支援する会社なんですよ。自立した個人が増えることが僕らのやらなければいけない使命であり、ゴールです。」

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イノベーションを起こせ

起業から現在に至るまでブレない志のもとに躍進してきた江幡さん。これから起業を目指す人に向けて伝えたいことは。

「そもそも起業することが偉いとは思わないんですが、選択肢の一つには確実になってるなと思います。起業って一番重要なのが想いの強さだと思うんで す。結局、技量でもなく頭でもなくテクニックでもない。本当に深い想いの強さがあるんだったらやるべきだと思うんです。それから先に話した(日本の自前主義の)こともそうなんだけど、今の世の中は制度疲労だらけで、それを直す時期に来ている。だから、チャンスだらけなんです。おまけにIT
のおかげで小さい資本でもいろんなことにトライできる。起業っていう点では遥かにチャンスの度合いが高まっています。ただひとつ言えるのは、少なくともホワイトカラーでは、今までのことをそのままできるというだけの人はもうだめなんですよ。圧倒的に今までより量ができる人になるか、付加価値を自分で作り出せる人、何らかのイノベーションを起こせる人にならないと生きていけないんです。そういう気でやれば起業もイノベーションに近いんですよね。チャンスはたくさんあるので頑張っていただきたいと思います。」

自分に与えられた環境で、常に自分らしいやり方でイノベーションを起こしてきた江幡さん。成功の鍵は時代を先読む眼力と、「自分なりに工夫してやってみよう」というチャレンジ精神にあるのだろう。今後いかにして“日本を元気に”していくのか、活躍に注目したい。

取材:四分一 武 / 文:Lily編集部

メールマガジン配信日: (前編)2013年7月3日  (後編)2013年7月10日