昭和18年、製紙業の盛んな愛媛県川之江町(現四国中央市)に、5人兄弟の長男として生まれた藤井勝典さん。13歳で父親を亡くし、母子家庭に育つ。高校卒業後、製紙会社に就職したが、昭和48年のオイル・ショックを期に独立し、株式会社クリエート(現 株式会社CDG)を設立する。
消費者の動向に基づいたマーケティング支援サービスを提供するセールスプロモーションの専門集団を強みに、21業種・約1,800社の顧客に対して様々なソリューションの提供を行っている。平成18年に上場を果たし、現在社員数180名、資本金4億5,000万円。2012年には米国カリフォルニア州にCDG Promotional Marketing Co., Ltdを.設立し、日本の未来を担う子供たちを育成するためのNPO運営など幅広い分野に恐れることなく挑み続けている藤井勝典さんの想いとは。
物質的な豊かさの恩恵をうけた「今」を生きる次世代へ向けたメッセージを伺った。

まずオフィスの受付に到着すると、坂本竜馬の等身大のオブジェが出迎えてくれた。社長室にも同じミニチュアのオブジェが飾られており、藤井さんは「竜馬のような人間が出てきてくれればいいんですけどねぇ。」と言って笑顔を向けてくれた。

13歳で父親が逝去。製紙会社へ就職。

製紙の盛んな町に生まれた藤井さん。13歳で父親を亡くし、高校進学もままならない経済状況だったが、母親の勧めで進学することになる。
卒業後は現在の大王製紙やユニチャームといった企業が扱う、女性用生理用品の素材を生産する製紙会社へ入社した。

「当時のユニチャーム(旧大成化工株式会社)は狭いワンフロアに豆電球があって、机の上には生理用のナプキンが並べられているという光景がありました。男性から見れば驚くような光景ですよね。」

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日本の世相を変えたオイルショックの到来、独立を決意。

「昭和48年、29歳の時にオイル・ショックになりました。石油がないので紙は生産中止。全国10ヵ所に40人くらいいた営業は、東京と大阪に2人ずつ残 して四国に帰されました。化学薬品の会社も、ものすごい勢いで倒産したんですよ。あのころの倒産の恐怖は異常でしたね。30歳になって四国に帰っても紙を 作れなければどうしようもないと思い、『もう会社を辞めて紙以外の仕事をやろう』と社長に直談判をして、辞表を出したんです。
昭和49年に独立をして、さあなにやろうかと考えていたら3ヵ月が経ちました。
そんな状況を知ったゴミ袋を生産する企業の経営者の方から、電話が入り、『お前やることないなら、うちの商品を売ってくれ』と言われたので、完全歩合制で引き受けることにしました。
結果、そのゴミ袋を1年間で1億円売ることができ、歩合としていただいた1,000万円を資本金として会社をスタートさせました。そして、その資本金を元 にポケットティッシュを生産する機械を購入。今の事業の原型がスタートしました。当時は40社くらい競合会社もあったんですがね、今ではうちが生産数では 国内トップクラスですよ。よく社員にいうんですけど、目標があって会社を作ったのではないとね。あの世相のことは日本の若い人に知ってほしいと思います。 オイル・ショックの半年は、どの産業も真っ暗でしたから。今は最高の時代だと思いますよ。やれることはなんでもできますから。」

52歳で稲盛和夫さんが設立した盛和塾との出会いから、上場を目標へ

「稲盛さんの経営の勉強を始めたんですね。当時は関西でも売上30億円の企業でしたけど、それまではきちんと経営者としての勉強はしてこなかった。
大阪の友人からの勧めもあり、稲盛さんの音声教材を聴いたのがきっかけで、これはイカンなと感じて勉強しようという風に考えが変わったんですね。盛和塾に入って経営の勉強を始めました。
そうこうしているうちに、それまで盛和塾で学んだことを、全国大会で話してほしいという依頼がありました。盛和塾事務局から5項目くらい話す内容について 要請があったんですよ。そのひとつにあった「将来の大きな夢」として「10年後に上場します」と言ってしまったんです(笑)当時55歳のときでした。
その後社員には上場なんて無理ですよ、なんて言われました。誰も信じてなかったんですね(笑)その時に自社株を購入した社員はたった10人くらいでしたけど、30倍にもなりましたよ!」

マーケティング力を培い「商売のやり方」と「英語力」で世界へ

「販売促進業界は、セールス・プロモーションだけだと、アメリカと日本だったら、ある面、日本のほうが進んでいる」と話す。

「アメリカもヨーロッパも乱売の競争、安売り競争をあまりしないんですよ。日本の量販店は、この戦略でアメリカに行ったら100パーセント勝てます よ。そういう会社はいっぱいあるんですよ。飲食チェーン店も。僕らがマーケティングのほうからぱっと見たらわかるのに、なんで来ないのか。言葉の壁ですよ ね。数年後、僕の会社は英語のできない新卒はとらなくなります。イトーヨーカ堂の鈴木さん(CEO)も言っていましたが『変化しない会社は淘汰される よ』。僕の会社は、10年以内にアメリカと日本の売り上げを同じくらいにしたい。アメリカがうまく行ったらEUに。マーケティングという仕事は世界共通で すから。」

「アメリカの子は小さい頃からマーケティングを勉強してます。
『自分の力でできるものは限られている、だから分業が必要。あなたはマーケティングに強くなりなさいよ。』と教えているのがハーバードですよね。だから、 ビル・ゲイツもそうだけど、マーケティングに強く、人が開発したものを取り上げるのにも強い。今、韓国の電化製品が世界で勝っていますけど、技術は日本の 企業と同じですよ。差はマーケティングのみです。モノが負けたわけじゃない。商売のやり方をしらないだけ。負けた理由は色々なことが言われているけど僕は マーケティングで負けたと思っている。ドロドロした営業もできない。韓国は子供の時から英語を勉強しますから、アメリカで徹底的に英語でマーケティングを している。日本も自動車は世界で勝っていますよね。もちろんいいものを作っているけどそれは後のことで。世界一のマーケティングをしていることが勝因で す。ところが、いいモノをつくったら売れるという時代が 30 年くらいあったんですよ。日本の家電メーカーはその間、売る努力はなしに勝ち続けちゃったんですよね。その時の成功体験から抜け出せない。」

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世界に誇れる「日本人」として

藤井さんが、日本企業に外国へ進出してほしい理由は、ビジネスだけにあるのではない。

「東洋っていうのは古いものを変えようとしなかった。そんなアジアの中でいちばん色んなことを変えようとしたのが日本。だから明治維新があったじゃない。太平洋戦争後の復興もあったし。変えようとする力が国民にあるんでしょうね。テレビ番組で聴いた『メイド・イン・ジャパンとは日本人なんですよね』 といった言葉、これが全てやな、と。メイド・イン・ジャパンは『モノ』ではない。持っている『人間』。『人間』がメイド・イン・ジャパンなんですよ。日本 人の、粘り強く、正しく、人に迷惑をかけない資質っていうのはアメリカなんかに行ったらすごく尊敬してくれる。メイド・イン・ジャパンのDNAを、人間の 良さを、地球全土に広げていかないといけないと思いますよ。僕らはもっとそこに力をいれるべきでしょうね。」

「未来を考える子ども」をつくるNPO設立

1974年に創業し、2006年に上場を果たした。知り合いの会社のゴミ袋を売って得た利益を創業資金にした。それからポケットティッシュ、ボック スティッシュ、キッチンタオル、メモ帳、ボールペン……と、取扱商品を増やしていき、今は約一万点の商品を取り扱っている。また、最近はアメリカの市場に 目を付け、昨年度は拠点を立ち上げるために若い社員を引き連れて一年間アメリカに住んだ。まさに勢いに乗っている企業だが、藤井さんは「将来この会社経営 を誰かに引き継いだら、持っているNPOのほうに全力投球したいですね」と語る。

「小学1年生くらいから『こんな人間になりたい』と考える人間をつくってあげないと。育成とかいうんじゃなくて、自ら気が付くのを促す教育をしたい ですね。それにはやはり絵本や本が必要だと。『私は考える力がないです。』と言う社員は100パーセント本を読まない人ですね。本を読む人で考える力がな い人っていないんです。本の入り口とは、僕は絵本だと思う。だから、絵本をつくることを通してやりたいなと思っていることがある。歴史上の科学者なんかの 本はあるけど、経済人の絵本ってないじゃないですか。僕はこれから出光さん(出光興産株式会社の創業者)や、たとえばクロネコヤマト宅急便の元社長の小倉 さん とか、稲盛さん(京セラ・第二電電創業者)なんかを絵本にして、経済がすばらしいんだ、ということを知ってもらいたい。子供のころの記憶は残りますから ね。また、絵本を読んで興味を持った子が今度は自伝を読み始めたり、絵本を書いた作家の小説にたどりついたりといったストーリーができたら良いですね。そ こに子供の時から夢や目標を自分で考える、という習慣ができて、ストーリーに乗ってきてくれれば。以前つくった『ジョン万次郎』の絵本は高知と福島の全小 学校に配ったのですが、福島の教育委員長はとても喜んでくれました。」

落ち着いた口調だが、高い見識と豊富な知識をもとに、日本の進むべき方向性について鋭く持論を語ってくださった。この時代をまさに現役で生きる我々世代は、日本のことをどれくらい考えられているだろうか。知ろうとしているだろうか。

70歳という年齢を感じさせないバイタリティー溢れる藤井さんの今後のご活躍に、ますます目を離せない。

取材:四分一 武 / 文:Lily編集部

メールマガジン配信日: (前編)2013年6月19日  (後編)2013年6月26日