「両親はもちろん、親戚も自営業者や経営者が多かったので、自分もいつか起業するのだろうと漠然と思っていました。」

クリーニングのチェーン店やテント屋、ソフトウェアの開発など、業種は実に様々であるが、周りに独立して事業をする人が多く、起業を意識するのは自然な環境だった。当然、家の中でも仕事の話が多くなる。

「資金繰りや中小企業の経営の実態など、なかなか生生しい話です。なんとなく、お金儲けの話はタブーという空気感が日本にはありますよね。僕の場合はそんなことはなくて、目の前の資金繰りの大切さなど自然と理解するようになっていました。小さい頃からその様な環境にいた影響も大きいかもしれません。」

五十嵐さんの経営者としての鋭い勘は幼少期から養われたものであるに違いない。

ベンチャーキャピタルとの出会い

当時流行っていた、イベントやパーティーを企画するような学生ベンチャーには全く興味が無かったため、学生時代には特にビジネスの勉強はしなかった。

「ビジネスは社会人になってから学べばいい、と割り切っていたため、起業するための勉強はしていません。サークル活動でラグビーをしたり、友人と遊んだり、本当に普通の大学生でした。当時は起業を志す学生よりも、大企業に就職する友達が多かったですし。」
もちろん、会計に関する勉強はしていたが、初めから、社会に出てからビジネスについて学ぶ計画だったという。そのため、初めは、独立する人が多いリクルートや商社など大企業への就職を考えていた。

しかしながら、就職活動中、ベンチャーキャピタル(以下VC)と出会ったことで、五十嵐さんの運命は大きく変わることになる。

「たまたま大学のゼミで経済政策をしており、新規事業創出のところでVCの存在を初めて知りました。その時はVCというキーワードだけを知ったんで すが、偶然大学の学生部の掲示版に日本アジア投資の採用の張り紙を見付けたのです。日本でもVCを専門にやっている会社があることに驚いて、説明会を聞きにいったところ、『まさにこれがやりたかったことだ!』と思いました。経営者の話をたくさん聞けて、ビジネスモデルが分かって、なおかつそこに投資を行う 事業は多くないですから。仮に証券会社に就職しても、希望する投資に関連する部署へ配属されるか分からないですし。」

一番自分のやりたい仕事ができる日本アジア投資への就職を決意。そこでの経験は起業するための大きな糧となる。

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会社を辞める契機

日本アジア投資で大学卒業後の22歳から26歳までの4年間を過ごした。しかしついに、1999年12月、会社を辞めることを決意。

「2000年で区切りもよかったし、自分自身も20代後半に入るタイミングでキリがよかったです。このままいくとVCの仕事が楽しすぎて、辞められなくなり、独立できなくなるのではないか、という危機感もありましたね(笑)。
当時は、社長同士が組んで新規事業でネットビジネスをやりたいとか、ITベンチャーを紹介してほしいとか、様々なケースがありました。その様な案件を担当しているうちに、やはり自分も会社をつくろうと思いました。VCでは当然仲介もしており、基本のビジネスモデルの原型は頭に入っていました。あるベンチャー企業の社長に一緒にやってみないか!と言われたのをきっかけに、会社を出て新規事業を立ち上げてみることにしたのです。」

2000年という新しい時代を迎え、世の中の空気感が新しい方向に動いていく中で、五十嵐さんも新たな一歩を踏み出したのである。

ネットビジネスでの失敗と成功 ― 夢だけじゃ飯は食えない…!―

このようにして2000年に、複数の会社の合弁会社の立ち上げに至る。

「ネットビジネスの会社で、消費者同士のコミュニケーションの場であるコミュニティをメインコンテンツとして、様々な情報提供をする総合サイトを運 営していました。当時はネットビジネスというだけで、15億円から20億円も資金を集められたのです。その資金を使って、一気に社員も増やし、事業展開を図りました。しかし、サイト自体はアクセスや会員数の規模などにおいては上手くいっていたものの、当時のネットビジネスは収益化が難しく、赤字続きでし た。」

当時、事業企画・開発を担当していた五十嵐さんには、会員データベースを生かした、広告収入以外での収益機会を探すことが求められた。

「その頃、インターネットの先進国である韓国で、ネットマーケティングが流行ってきたらしいと知りました。これは、必ず日本でも流行ると直感したのです。」

こうしてネットリサーチ事業を始めることとなり、これが現在のメイン事業の原型となる。結果、社内ではネットリサーチ事業だけが黒字化し、利益があげられる様になったが、会社全体の赤字は到底埋まらない。この事業に大きな可能性を感じ、成功を確信していたため、五十嵐さんはやむを得ず会社を出ることを決意した。

「事業をする側となって、短期間で一通りの企業の経営の失敗を経験しました。お金の投資、従業員の採用、リストラをすることも実際にありました。『夢だけじゃ飯は食えない!』と学びましたね。」

「持たない経営」

会社を設立した段階で、既に事業の差別化のポイントは明確だった。

「ネットリサーチ事業を始めた頃、先行する会社はいくつかありました。しかし、彼らが唯一気づいていなかった点があったのです。それは、『アンケー トモニターのデータベースは自分たちで作らなくてよい』こと。当時ネットリサーチの会社は、アンケートモニターは自分たちで確保しなければならないと思い 込んでいたんですね。お客様の集めて欲しいというニーズに応えることを目的とするのであれば、たくさんのデータを集めた者勝ちですが、データベースを自社で持つにはお金と時間がかかります。」

このようにして『持たない経営』をネットリサーチ事業に持ち込んだのである。当時のネットリサーチビジネスの盲点を見事に見抜き、モニターを自社で 抱えるのではなく、モニターとなる会員を持つ他社のサイトと提携することによって、業界最大規模のモニターデータベースを実現。

「ネットリサーチというとITビジネスと思われがちですが、情報収集する手段やインフラがITなだけ。本質的には代理店ビジネスなんです。」

そして予想通り初月から黒字を達成した。

「初年度から3億円の売上があり、仮説以上に順調だったため、たまたま上手くいっただけではないかと逆に心配になりました。ビジネスモデルがスポっとはまって売り上げがつくのはVC時代に疑って見ていたものですから。」

しかしながら、その後も順調に成長を遂げることになる。

市場規模=夢

「市場規模とは夢である」と熱弁する五十嵐氏。これから三年間のクロス・マーケティングの目標はズバリ、市場規模がより大きい方へ対応できる舞台をつくることだ。既にネットリサーチ企業から総合マーケティング企業へと視点を切り替えている。

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「私は、人間の欲求として、同じ仕事を三年間繰り返してしていたら、当然飽きてしまいまい、それが会社を辞める要因のひとつだと考えます。だから、 社員が長く働き続けられるような状況を作り出していきたいのです。他の業界と重複しないような隙間領域を見つけながら、領域を拡大し、業種をどんどん増やしていきたいです。」

五十嵐氏自身の夢は、自分たちの会社から経営者などの「人材」を排出することだ。

「クロス・マーティングという会社は、新規事業を立ち上げることのできるプラットフォームでありたい。社員全員が自発的に行動して成長し、会社というプラットフォームを使ってもらえたら嬉しいです。もともとベンチャー支援をしていたため、人材育成も好きなのです。」

ある意味で総合商社のように、一つのブランドにみんなが集まり、自発的にビジネスを拡げていき、会社組織として大きくなっていくのが理想だという。

「一番良いのは、長く続けられる企業であることです。そのためには、競合との差別化を、尖った人材とか、特定の人材に頼りたくないと考えます。一生懸命に頑張る普通の人たちが成果を出せる会社が一番強いですし、そういう人たちに夢を与え続けることも大事にしたいと思いますね。」

仕事(ビジネス)は人間の欲求の塊

「今は、仕事以外の趣味がありません。むしろもう一度、仕事にはまろうかと思っています。今年40歳になるため、世界観を拡げるためにもギアチェンジしたいですね。死ぬまでには、英語と中国語を使って違うフィールドで仕事もしてみたくて、グローバルビジネスも始めました。」

仕事(ビジネス)は人間の欲求の塊である、と語る五十嵐氏。みんなが欲しいもの、したいことがあるからこそ、そこに市場が生まれる。その意味で、自分がしたいことを仕事にするのはビジネスマンの正しい動き方なのである。五十嵐氏がどのようなビジネスを展開していくのか、今後も目が離せない。

取材:四分一 武 / 文:若尾 祐里花

メールマガジン配信日: (前編)2013年4月5日  (後編)2013年4月12日