ボツワナ共和国   プラエンテ T.ケノシ駐日大使

ボツワナ共和国 プラエンテ T.ケノシ駐日大使

アフリカ屈指の自由と平和、そして経済成長を続けるボツワナが、日本に送るメッセージ

日本のおよそ2倍近くの面積を持つ国土に、わずか200万人の国民が住むアフリカの国、それが今回クローズアップする「ボツワナ共和国」だ。具体的な位置としては、南に隣接するのが昨年サッカーワールドカップが開催された南アフリカ共和国、西をナミビア、北をザンビア、東をジンバブエに囲まれた、アフリカ南部の内陸国。多くの日本人にとっては馴染みの薄い国かもしれないが、実はダイヤモンドの産出量が世界第2位のシェアを占める、ダイヤモンドの国なのだ。事実、ダイヤモンド産業だけで、GDPの3分の1を超えるほどであるがその一方、産業の多角化にも力を入れていて、安定した経済成長を続けている。
しかしもう一つ、注目すべき点がある。それはアフリカにおいて、数少ない「平和的な交渉によって独立を果たした国」であり、なおかつ「複数政党制に基づく議会民主主義が正常に機能している国」であるということ。
アフリカでは今も民族間紛争が絶えず、また経済的に困窮する国も少なくない中で、なぜ小国であるボツワナが安定的な経済成長と、平和的な政治が運営できるのか?昨年から新たにボツワナ共和国大使館の大使として活動している、プラエンテ T.ケノシ氏に、その理由も含めた、知られざるボツワナの真実や魅力について語ってもらった。

人口が少ないハンデを、外国人とダイヤでカバーして国を発展させた歴史

先ほど紹介したように、ボツワナは国の人口が200万人余りという小国。イギリスより1966年に独立を果たしたわけだが、独立当初は苦労も多かったようだ。しかしその後、他のアフリカ諸国に比べても非常に安定した経済成長を維持し、現在に至る。その理由としてケノシ氏が挙げたのは、「豊富なダイヤモンド資源」だ。
「ダイヤモンド資源が豊富にあったことで独立後、比較的早い段階から発展を遂げるための経済基盤が出来上がっていたことは、ボツワナにとって非常に大きなメリットだったと言えます」
しかしダイヤモンドだけがあっても、その有益な資源を事業として発展させていくための人材が不足していることは、否めない事実だ。にもかかわらず成長できたのも、ダイヤモンドによるところが大きいという。
「ダイヤモンドで得た資金を元に、優秀な外国人を雇うことができたのです。事実、以前は公務員等の重要な役割を担うポストに、外国人が多かったのです。また外国人にとっても、豊富なダイヤが地下に眠るボツワナは、将来性が高い国として魅力に感じて、積極的にボツワナに来てダイヤモンドを軸にした事業化を次々に成し遂げていきました。つまりダイヤが呼び水となって、人材の少ないボツワナの欠点をカバーすることで、順調な発展ができた理由でもあります」

平和的で安定した政治体制を維持できる理由

ボツワナ共和国 プラエンテ T.ケノシ駐日大使豊富なダイヤモンド資源によって独立後、すぐに順調な成長を続けてきたわけだが、実はそれだけが理由ではない。その理由を紐解くひとつのエピソードがある。 アフリカでは1950年~1960年代にかけて、多くの国が困難を乗り越えて独立を果たしたものの、その多くは独立後も内戦や数々の衝突に直面したのに対し、ボツワナは民族間での“交渉”によって独立を果たし、政治的安定を続ける数少ない国なのだ。
「元来、ボツワナには独立前から物事は全てみんなの話し合いによって決める文化が根付いていたことが、独立も交渉によってスムーズに成し得ることができた大きな要因といえるでしょう」と、ケノシ氏はその背景にある、ボツワナならではの「対話社会」の存在を語る。
そうした社会であったからこそ、独立後も政治的な決断は国民との話し合いのもとになされ、国のリーダーもまた国民に対して、必ずコンセンサスを得てから実行する体制、つまり今でいう“議会制民主主義”がスムーズに機能したのだ。そのため、政治家や公務員は「国民に対して仕える」という意識が高く、例えば教育や医療の充実など国民の目に見える形で実行し、また国民はその行為を高く評価することで、お互いの信頼関係が強く結ばれている。

観光&工場生産&ICTが、今後の成長のカギを握る

このように経済的にも政治的にも独立後、安定した状態を維持することで発展してきたボツワナだが、今後、さらに発展していくためにどのような取り組みをしているのだろうか?
「基本的にはこれからもダイヤモンドは、国の成長にとって非常に重要な基幹産業であり続けますが、ダイヤ以外の産業育成にも今、力を入れています。そのテーマは主に観光・工場・ICT&インフラの3つ。
観光では国土の37%が手つかずの自然が残り、ゾウの生息数が世界一など潜在的な魅力を発信していく必要があります。現在、年間6000人の日本人観光客が来てくれていますが、今後さらに増やしていきたいですね。
次に工場は、特に繊維工場建設のニーズが高いこと。例えば今、国内で飼育する牛の皮を直接欧州などに輸出していますが、それは皮を加工する工場が国内にないから。このように加工する工場がもっと国内に増えれば、ニーズは高いので高い確率で発展する有望な市場です。
最後にICT&インフラでは、国のプロセス効率化に力を入れているので、海外から最先端のITサービスや技術を導入しているところ。また道路の整備やダイヤと同じように豊富な資源を有する石炭の発掘や、その輸送に伴う鉄道ネットワークの整備なども積極的に取り組んでいきます」

少ないリスクで大きなビジネスチャンスがあるボツワナをもっと知ってほしい

ボツワナ共和国 プラエンテ T.ケノシ駐日大使3つの分野を中心に、今後も安定的な発展を遂げるために積極的に事業展開していくボツワナ。そのボツワナで、日本人がビジネスを展開するメリットはどんなところにあるのだろうか?
「先ほど紹介したように、ボツワナはアフリカで最も安全な国であると国連から認められているほど政治的に安定し、治安もいいので安心してビジネスに取り組める環境が整っています。それに加え、いつでも自由に会社を作れて、自由に投資&撤退することができ、さらに事業で得た利益をいつでも日本などに持ち帰ってもOK。
また現在、ボツワナでは国内エネルギー需要の8割を海外からの輸入に依存していることから、国内でエネルギーを生産できる国家プロジェクトを推進しています。ですからエネルギー分野で日本の高度な知識や技術を生かせるチャンスがあるのも、日本企業にとって大きなチャンスではないでしょうか」

このように日本人にとっても、ボツワナには大きな魅力やビジネスチャンスがあることをケノシ氏は語ってくれた。それを踏まえた上で、最後にケノシ氏から日本へのメッセージをいただいた。
「まだボツワナに関する情報が少なく、またそれらにはネガティブな情報が多いことが残念に思っています。これからもっと日本の皆さんにボツワナのことを知ってほしい。だからこそ、現地の最新情報を随時提供できるように、そして多くの日本人が観光やビジネス等の目的で、ボツワナに来てもらえるように頑張りたいですね」

取材・文: 山田もきお

メールマガジン配信日: 2012年1月11日
プラエンテ T.ケノシ駐日大使を囲む食事会開催日: 2012年 1月24日

株式会社スペースデザイン
      取締役 営業本部長  白石ルースさん

株式会社スペースデザイン 取締役 営業本部長 白石ルースさん<白石ルースさん プロフィール>

株式会社スペースデザイン
取締役 営業本部長
22年間日本滞在、ハワイ出身。
1988年にボストンのタフツ大学から株式会社リクルートに入社。
現在は株式会社スペースデザインの取締役・営業部長として、来日する
グローバル層向け家具付きサービスアパートメントを東京・横浜にて展開。
2006年に、欧米系女性として初の宅地建物取引主任者となり、不動産業を
通して日本の国際化に貢献している。
現在、公益財団法人 日本女性学習財団 評議員としても活動。

「相手のために尽くすこと」を信念に、日本の将来を切り拓いていく

今回ご登場いただく白石ルース氏は現在、来日する外国人ビジネスマン向けの短期賃貸サービスアパートメントを展開している不動産企業の取締役 営業本部長として活躍。2006年には欧米系女性として初の宅地建物取引主任者となるなど、不動産ビジネスを通して日本の国際化に貢献している、非常にアグレッシブで快活な方だ。
しかしそんな彼女にも、これまでに紆余曲折の半生を歩んできた過去がある。幼少期、ハワイで受けたいじめ経験を克服し、またひょんなことから日本の企業に就職したことにはじまり、現在勤務する企業で初めて直面した日本社会特有のカベに悩んだ。その一方、スコットランドへの留学やチアリーダーを経験したことで周囲の方に受け入れられるようになったことや、ある有名日本人との運命の出会いによって、人生の新たな目標を見出した。
このように様々な経験を経て今、「相手のために尽くすこと」を信念に日本の未来を切り開こうとポジティブに活動しているルース氏の様々な想いについて、インタビューを通して探っていきたい。

ハワイでのいじめ経験。そしてスコットランド留学で受けた衝撃

高校生までハワイで生まれ育ったルース氏。インタビュー中は終始、明るい笑顔を絶やさず、時にジョークを織り交ぜながら話す彼女だが、幼少時代には現在とは全く違う形で生活を送っていたという。それは周囲から受けたいじめだ。
「ハワイにはさまざまな人種が暮らしていますが、私のような白人は少数派。しかも常夏のハワイでは、どれだけ日に焼けているかが人気者になれるひとつの基準みたいなものがあったから、私のような人間は他よりもいじめを受けやすい人でした。今振り替えてみれば、それほど大きなダメージはなかったのですが、当時は辛い思いもいっぱいしましたね」
しかし12歳の時、父親の仕事の関係で1年間、スコットランドに留学したことが彼女に大きな変化をもたらす。
「最初は異国に行くことでとても不安でした。面白いことにスコットランドの小学校は白人だらけで、アジアのお友達になれている私にはみんな同じようにみえた。でも白人で目立たない経験は初めてで不思議と感じながらでも溶け込むことができ、ワイルドなアメリカ人がきたとのことでちょっとした人気者扱いに。人生はじめての経験でした!」
その結果、彼女は人の前に出て自分を表現することで、みんなと盛り上がることや楽しくなることを覚え、人と接する意欲が急速に芽生えた。

10年間のチアリーダー経験&大学での学問が、今の仕事につながっている

株式会社スペースデザイン 取締役 営業本部長 白石ルースさんハワイに帰国後、早速行動に移す。それがチアリーダー活動への参加だった。
「人の前でパフォーマンスすることがとにかく楽しい!それに一生懸命練習して、選手を応援するという行為が、私にとって非常に意義のあることに感じましたね。それが“お客様の力になりたい”という今の仕事にも通じているんだと思います」
その後ボストンの名門タフツ大学に入学し、日本のリクルートに就職した後も合算すると約10年間、チアリーディング活動を続けた。その大学では国際関係、特に核兵器と抑制戦略に関する研究に取り組んだルース氏は、そこでも今の仕事に通じる貴重な経験をした。
「一番印象に残っているのは戦争の定義として“戦争は外交の失敗である”という言葉。戦争が起きないため、外交を最も重要視することです。相手との信頼関係が築けなければ必ず失敗し、悲惨な結果が待っているんです。その考え方はビジネスにも適応できる。お客様との信頼関係が壊れたら、成約にならないこと、また色々なトラブル「紛争」が起きること。だからこそ、相手との信頼関係を築く大切さを学べたことが非常に貴重な経験でした」

Noと言われる日本社会に困惑するルース氏が目覚めた、江副氏の一言

大学卒業後、日本の大手情報企業であるリクルートに就職したルース氏。その理由について「アメリカで最初の面接をしたとき、面接官が日本の方で英語がほとんど話せない若い女性だったんですね。それで、その国の言葉が話せないこんな若い女性を一人で海外に行かせるような会社に入りたい!と思いました。」と明るく語る。その後4年間リクルートで働いたルース氏の予感は当たり、周りの社員はみなアグレッシブでガッツがあり、頭がいい人ばかりで刺激的で充実した生活を過ごせたと回想する。大きな国際会議の事務局になり、日本での別の経験を求め、リクルートを卒業したが、7年ほど翻訳や通訳、司会やタレント業などを経て2000年、現在勤務するスペースデザインに入社することに。そこで新たな困難に直面することになる。
「何か提案してもすぐに却下されてしまう風土でした。スペースデザインは、“No”ばかりであった。結局スペースデザインへの入社を断ることにしました。自分で翻訳・通訳、ようするに自分の得意分野を追及したほうがいいと」
しかし彼女を留め、スペースデザインに入る決心にさせたのは、会社の大株主でリクルートの創業者でもあり、彼女が最も尊敬する江副浩正さんの一言だった。
「“ルーシーはこんなに日本に長く住んでいてもまだわからない?日本はNoの社会ですよ。ビジネスを成功させ、拡大していくためにはそのNoに直面し、そのNoを無くす努力をすることです。そのことを勉強しなければ絶対に成功はしない”という言葉でした。それまで、私が外人だからとか日本人特有のコミュニケーションができないためにNoと言われるんだと思っていたんです。でもそうではなく、日本の社会で活躍していくためには誰しもが乗り越えなければいけないハードルなんだと気付いた時、ここで頑張って尊敬する人についていこうと思いました」

苦手な人ほど信頼関係を築くことが大事。来日外国人のお客様のため、そして子供のために日本の将来を切り拓きたい

株式会社スペースデザイン 取締役 営業本部長 白石ルースさんその後、ルース氏はNoと言われてもギブアップしないための方法を体当たりで探し続けた。その結果、たどり着いた答えが「苦手な人ほど、信頼関係を築く」ということだった。
「大学時代に学んだ戦略的な考えと同じように、相手との信頼関係を築かなければ決してその先には進めない。そこでまず目に見える実績を作った上でロジックを考えること。その上でお客様のビジネスの成功に役立ちたいという熱いパッションを持って一生懸命に正面からぶつかっていくことが“Noのカベ”を乗り越えるために必要だと実感しました。その役立ちたいという思いもまた、チアリーダーの頃から培った経験が役立っていると思いますね」
それからはお客様の視点に立った営業活動を通して、10年以上の長きにわたる活躍を続けるルース氏。そんな彼女の今後の夢は何だろうか?
「実は来日する短期滞在者の外国人ビジネスマンをサポートするサービスが、日本ではまだまだ不足しているんですね。異国の地で友人や家族もいない孤独感、そして言葉も通じず毎日の生活を十分に味わえない方が多くいます。その現状に対して、少しでも生活面でフォローすることで、お客様のビジネスが成功するように応援することが、私の目標です。またもうひとつ、2人の子供が大学に入って将来、自分の目指す道に進む手助けができるようにこれからもがんばりますよ!」
今、元気を失っている日本の未来を明るくしたいという思いを強く持つルース氏は、同世代の仲間たちと一緒になって頑張っていきたいと目を輝かせながら語る。そんな彼女の今後の活躍に目が離せない。

取材・文: 山田もきお

メールマガジン配信日: 2011年7月6日
白石ルースさんを囲む食事会開催日: 2011年 7月28日

« Older Entries